立体幾何学装飾「ムカルナス」とは何か
イスラームが、目に見える具体的な人や物、絵などを崇拝する「偶像崇拝」を禁じているというのは、ご存知の方も多いだろう。このため、特に宗教的な文脈においては、具体的な人や物を象った具象芸術は好まれない。こうした背景から、建築装飾についても、モスクやマドラサといった宗教的な意味合いの強い施設に施されるものを中心に、具象性を排した幾何学的な装飾や、植物をモチーフとした文様などが多くを占めている。
イスラームの幾何学的な建築装飾というと、壁・床のタイル装飾やモザイク、木製扉の彫刻といった、平面的なものが真っ先に浮かぶ。カラーウーンの寄進施設においても、床の大理石モザイクや、本プロジェクトのロゴマークのモチーフとなった窓など、各所が幾何学的な原理に基づいてデザインされていることが見てとれるだろう。
イスラーム建築に見られる幾何学的装飾の対象は、平面的なものにとどまらず、立体的な表現にも及ぶ。こうしたイスラーム建築に特有の幾何学的な立体装飾の代表格が、本稿のテーマである「ムカルナス」である。
ムカルナス(muqarnas)は、イスラーム世界の広範囲(西はスペインから、東は中央アジア周辺まで)に見られる、凹形の曲面部品が積み重なったような建築装飾である。複雑で有機的な曲面の集合体のようにも見えるが、一定の幾何学的な規則に基づいてデザインされている。主にドームの内側や、ミナレットの径が変化する部分などに用いられるもので、そのままでは角が立って段差のようになる部分を斜め上に向かって滑らかに移行させ、間をシームレスに繋ぐ意匠的な効果をもつ。
アルハンブラ宮殿(スペイン, グラナダ)の「アベンセラヘスの間」や、シャー・モスク(イラン, イスファハン)のイーワーンなどに見られるような壮大な事例がよく知られている。カラーウーンの寄進施設が建てられたマムルーク朝期のエジプトでも好んで用いられた装飾で、本施設よりも70年ほど時代が下るが、スルタン・ハサン・モスクの入り口に設けられた半ドームのムカルナスは、大規模かつ複雑な形状の事例である。
カラーウーンの寄進施設にはここまで目立ったムカルナスは見られないが、ミナレット周縁部を装飾しているものがあるほか、廟室の外陣の天井を折り上げる(部屋の格式を高めるなどの目的で天井の一部を上方に向かって凹ませること)ために、ムカルナス状の小曲面が用いられている(ぜひVRツアーでも確認してみてほしい)。
ムカルナスの起源については、イスラーム以前の工芸品の装飾にルーツがあるとする説、アーチの構造的な工夫から発展したものとする説などがある。建築物に施される本格的なムカルナスに関して言えば、10世紀ごろの初期の事例は、上部の構造物を下支えする構造的な要素としての性格が強かったと考えられている1。その後、時代が下るにつれて形状が複雑化し、ムカルナスの曲面のみを意匠として用いるようになったことで、装飾的な性格が色濃くなっていった。構造や材料といった実利的な役割が形骸化して、装飾としての役割だけが残ることは、イスラーム世界に限らず、建築装飾にはしばしば起こる現象である2。
1 深見, 1998: 270.
2 例えば、仏教建築などにみられる「組物」と呼ばれる部品は、もとは柱から突出して水平材を支える構造的なものであったが、禅宗寺院では、装飾のために構造とは関係のない部分に多数配されるようになった(「詰め組」と言う)。
初期の構造的なムカルナス(ないしムカルナス状の建築部材)は、頂点で交わる2本の半アーチの間の空隙を曲面で埋めた部品(ユニット)をいくつも階段状に積み上げたもので、四角形の空間の隅から内側に迫り出し、その上に載る構造物を支える役割を担っていた。このような部材を、建築の言葉では一般に「持ち送り」と呼ぶ。壁や柱から水平方向に突出し、その上に載る屋根や梁などの別の部材を支えるための、構造的な部材である。
ムカルナスに支えられる構造物の代表例が、イスラーム世界の建築文化における重要な要素の一つ「ドーム」である。伝統的な建築文化の中にドームを持たない日本人にはイメージしづらいかもしれないが、四角形の部屋の上に半球形のドームを取り付けようとすると、当然部屋の四隅にあたる部分が余ることになる。この部分をどのように処理するかが、ヨーロッパやイスラーム世界など、ドーム文化のある地域では様々に工夫されてきた。ムカルナスの当初の役割の一つは、上部のドームを持ち送り構造として支えつつ、こうした空間の隅を四角形から円形へと移行するよう処理し、その部分を滑らかな意匠に見せることであった。このような経緯から、ムカルナスはその後、ドームを飾る装飾として大きく発展してゆくこととなる。
ムカルナスは、はじめ、小さな墓廟建築のドームなどに適用されるささやかなものだったが、ドームが大規模化するにしたがって曲面の数が増加した。その後、ドーム架構法3の発達などに伴って、次第に上部を支える構造的な役割と切り離されるようになり、ドームの内側を装飾する要素として形が複雑化する。上に示したスルタン・ハサン・モスクのものをはじめとする、エジプトの大規模な事例の多くは石積みであり、ムカルナスと建物の構造が一体化しているため、構造的な強さに一定の意識を払って製作されていたと考えられている。一方、イランなどの事例の中には、先んじて造った滑らかなドーム(ムカルナスの施されていない、通常のドーム)の内側に、葦などの植物でできたフレームのようなものを吊り、その上に漆喰を塗ってタイルで仕上げたものがある。こうした事例ではムカルナスの構造とドームの構造とが完全に切り離されており4、一口にムカルナスとは言っても、構造上の仕組みは、地域や時代によってかなり異なっていることがわかる。
3 建物を成立させる基本的な構造を架構といい、それを造る技術を架構法といいます。ブロック状の部品を積み上げて建物を造る(組積造)地域では、ドーム架構法は大きな空間に屋根を架けるために大変重要なものでした。
4 O’Kane, 1987: 88–91.
ムカルナスを製作するための幾何学的な原理や、ムカルナスに関するより詳細な歴史的経緯については、別記事で改めて触れようと思う。
参考文献
深見奈緒子『イスラーム建築におけるムカルナス・ヴォールティングに関する研究』博士学位論文, 横浜国立大学, 1998.
Bernard O’Kane, Timurid Architecture in Khurasan, Costa Mesa: Mazdâ Publishers in association with Undena Publications, 1987.
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