地中海建築における装飾要素としての縞模様
イスラーム建築においては、異なる色を交互に並べて縞状にするアブラクと呼ばれる装飾手法がある。カラーウーンの寄進施設においても、その入り口の上部に設けられたアーチに二色の石材を用いたアブラクをみることができる。名前は知らなくともイスラーム建築の写真などで同様の装飾をみたことのある人も多いのではないだろうか。国内でも渋谷区にある東京ジャーミィなどでみることができる。
アブラクという言葉が確認できる最初の記録は1109年に行われたダマスカスの大モスクの北側の壁を修復した際のものであるが、こうした装飾方法はイスラーム建築に限らず、地中海世界において古くからみられる手法であった。カラーウーンの寄進施設のように、異なる色の石材を組み合わせたアブラクは、色の濃い玄武岩と白い石灰岩が同程度産出される南シリアで産まれたものと考えられているが、このような装飾の起源は、ビザンティン建築でみられるような煉瓦と石材とを交互に積み上げる手法と考えられている1。
1 Peterson 1996, 2.
ビザンティン建築において、石材と煉瓦を交互に積み上げて壁面を構築する手法は広範にみられるものである。カスル・イブン・ワルダーンのようなシリアの例に限らず、現在のトルコおよびブルガリア領でも現存例がいくつもあり、コンスタンティノープル(現トルコのイスタンブル)のアギオス・ヨアニス・エン・トゥルーロ教会堂(ドームの洗礼者ヨハネ、10世紀)やメセンブリア(現ブルガリアのネセバル)の聖パラスケヴィ(日曜日)の教会堂(13世紀)などがあげられる。12世紀頃まではビザンティン建築においては、このように石材と煉瓦とを層状に積み上げる場合はあくまで壁面のみであり、アーチは石材か煉瓦のいずれかのみで構築するのが一般的であった。しかし、13世紀頃からは大天使ミカエルの教会堂のように、アーチの部分も煉瓦と石材を交互に積み重ねる手法がみられるようになってくる2。ビザンティン建築では、内壁は壁画等で覆われるのが一般的であったため、こういった建築材料を交互に重ねる手法がみられるのも必然的に建物の外壁が中心である。しかし、異なる色の大理石板を内部装飾として用いる手法は、6世紀くらいまでの初期キリスト教時代にはしばしば用いられた手法であったと考えられ、イスタンブルのハギア・ソフィア(6世紀)やテサロニキの聖ディミトリオスの教会堂(6世紀)3などにおいて、その一部が確認できる。ローマのパンテオンなどの内面も同様の手法で装飾されていることを踏まえると、こういった色の異なる大理石を並べる手法はローマ建築における壁面装飾法の一つだったのだろう。
2 管見の限り、これらの地域において石材と煉瓦を交互に使用してアーチを構築した最も早い事例は、ブルガリアのアセノヴグラト近郊にあるアセノヴァ・クロポスト(アセン王の城塞)にある聖母マリアの献げられた教会堂(1200年頃)であるかと思われる。Cf. Ousterhout 2019, 540.
3 テサロニキの聖ディミトリオス教会堂は1917年にテサロニキで起こった大火によって、消失したがその後大火前と同じ形で復元されており、アーケードには二色の大理石板が貼られている。実際に1891年に作成された色版画でもアーケードが二色に塗り分けられている。Cf. Τα χαρακτικά της Θεσσαλονίκης από τον 15ο έως και τον 19ο αιώνα από τις συλλογές των Γιώργου Πατιερίδη και Κώστα Σταμάτη, Thessaloniki, Mouseio Fotografias “Christos Kalemkeris” Dimou Kalamarias, 2009. (https://eng.travelogues.gr/item.php?view=52465)
このような異なる色の大理石を貼る手法は、初期のイスラーム建築にもそのまま踏襲された。7世紀末にエルサレムに創建された岩のドームの中でも、創建当初の遺構が残るドーム内部をみると、壁面はモザイクと共に縞の入った白と黒の大理石板によって覆われており、特にアーチの部分では白と黒の大理石が交互に用いられている。一方で、大理石装飾ではなく、石材と煉瓦という異なる建材を交互に積み重ねてアーチを構成した事例がスペインのコルドバに創建された大モスクである。赤と白で構成される二重アーチを用いた印象的なアーケードを有するこのモスクは、四期にわたる増改築を経たものである。中でもアブドゥッラフマーン1世によって8世紀に創建された当初の部分では、アーチが白い石灰岩と赤い煉瓦を交互に重ねることによって構築されている。コルドバの大モスクでは、ローマ時代や西ゴート時代の遺構を再利用した円柱によってアーチを支えており、さらに用いられているアーチの形状もその円弧が半円よりも長くなる馬蹄形アーチであり、この地域の建築的な伝統を継承したものである4。また、壁面において煉瓦と石材を層状に積み重ねる手法は、メリダの水道橋のように、スペインにおけるローマ時代の遺構でも確認されており、アーチを煉瓦と石材を交互に重ねて構築する手法にしても、コルドバからは少し離れたドイツの事例ではあるものの、3世紀に創建されたトリーアのコンスタンティヌスの浴場においてみられる。コルドバの大モスクは、こうした在来の技術を踏襲・統合しつつ、アッバース朝によってシリアから逐われたウマイヤ朝の一族の一員であったアブドゥッラフマーン1世が故地に似せた建築をスペインにて実現させたものなのであろう。その後のコルドバの大モスクの増改築では、アブドゥッラフマーン1世期の二重アーチにおける赤と白の表現を視覚的な面のみ継承し、浮き彫りを施した石材を部分的に着色するようになり、装飾的な側面を強めていくこととなるが、この視覚的効果はイベリア半島の建築において尊重され、イスラーム建築のみならずキリスト教建築にまで影響を及ぼしていくこととなる5。
4 深見 2013, 32¬–33; ブルーム 2001, 141–43.
5 伊藤 2017, 437–38.
コルドバの大モスクから少し遅れた800年頃には、西欧のキリスト教建築においても縞状の建築装飾が確認されるようになる。それがフランク王国のカール大帝によってアーヘンに献堂された宮廷礼拝堂である。これは八角形平面の中心部分を十六角形の周廊部分が囲う集中形式の教会堂であり、八角形部分を構成する二段のアーケードのアーチに白と黒の大理石が交互に貼られている。このアーヘンの宮廷礼拝堂は、ラヴェンナのサン・ヴィターレ教会堂を模して作られたことが指摘されている。サン・ヴィターレにはこのような縞模様は確認されないが、アーヘンの宮廷礼拝堂の献堂にあたっては、ローマ教皇ハドリアヌス1世の許可のもとラヴェンナとローマの遺跡から大理石等の建築材料をアーヘンへ持ち帰っており6、こういった装飾がイタリア半島からアーヘンへ持ち込まれた装飾要素である可能性はあり得るだろう。
6 Thorpe, 79, note 62.
800年にローマ皇帝に戴冠されたカール大帝が献堂し、埋葬された宮廷礼拝堂において、二色の縞模様が用いられていた影響はその後の西欧の建築にも少なからず影響を与えたようである。例えばケルン(ドイツ)のザンクト・パンターレオン教会堂の西構(10世紀末)やヒルデスハイム(ドイツ)のザンクト・ミヒャエル教会堂身廊の横断アーチ(11世紀)、ヴェズレー(フランス)のヴェネディクト会修道院附属ラ・マドレーヌ教会堂(12世紀)の横断アーチなど、ロマネスク建築において縞模様は広くみられるようになる。さらに12世紀以降のイタリアでは、内部装飾のみならず外部装飾としてもこのような縞模様が用いられるようになっており、ピサの司教座教会堂(大聖堂)やフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会堂、シエーナの司教座教会堂などがその一例である。
このように地中海世界においては、ビザンティン建築や西欧建築においてもこうした縞模様はみられるが、特に盛んに用いられたのはやはりイスラーム建築であった。特にセルジューク朝以降では、コンヤ(トルコ)のアラエッディン・モスクのメイン・ゲートのように、異なる色の石材の単純な積み重ねから、高い切石の技術のもとで石材同士を複雑に組み込むようになっていく。マムルーク朝期に建てられたカラーウーンの寄進施設においても、冒頭の写真のように、入り口上部のアーチを構成する石材は波状となっており、それらをうまく組み合わせている。そしてこうした技術は、オスマン朝建築のもとでより精緻化・複雑化されていったのである。
このように、地中海世界の様々な地域において、縞模様が建築装飾としてみられる。しかし一口に縞模様といっても、その方法は地域や時代によって様々なものがあり、それぞれの地域ごとに異なる発展を遂げてきたものなのだろう。さらに、多色の石材を用いる場合でも、例えば12–13世紀のバシュゲディクのクズル・キリセのように7、地中海から離れたアルメニア建築からは異なる色を並べることによる視覚表現の意識は窺えない。従ってこういった縞模様は、地中海世界において共有された建築装飾の方法であり、恐らくは地中海世界の美的感覚を反映したものなのだろう。
7 Sasano et al. 2014, 2: 397.
参考文献:
Ruba Kana’an. “Architectural Decoration in Islam: History and Techniques.” Edited by Helaine Selin. Encyclopaedia of the History of Science, Technology and Medicine in Non-Western Cultures. Dordrecht: Springer Netherlands, 2016.
Petersen, Andrew. Dictionary of Islamic Architecture. London: Routledge, 1996.
Ousterhout, Robert G. Eastern Medieval Architecture. New York, NY: Oxford University Press, 2019.
Thorpe, Lewis, Notker, and Einhard. Two Lives of Charlemagne. Penguin Classics. Harmondsworth, England: Penguin Books, 1969.
Sasano, Shiro, Yasuhito Fujita, Masashi Morita, and Anatoria Kōkogaku Kenkyūjo. Historic Christian and Related Islamic Monuments in Eastern Anatolia and Syria from the Fifth to Fifteenth Centuries A.D. : Architectural Survey in Syria, Armenia, Georgia and Eastern Turkey. Tokyo: Sairyu-sha, 2 vols. 2014.
伊藤喜彦「スペイン初期中世建築史論–10世紀レオン王国の建築とモサラベ神話–」、中央公論美術出版、2017年
深見奈緒子「イスラーム建築の世界史」岩波書店、2013年
ジョナサン・ブルーム、シーラ・ブレア「イスラーム美術」岩波書店、2001(Jonathan Bloom, Sheila Blair, Islamic Art, London: Phaidon Press, 1997)
C.マンゴー「ビザンティン建築」本の友社、1999年(Cyril Mango, Byzantine Architecture, Milan: Electa Editrice, 1978)
Blair, Sheila S. and Jonathan M. Bloom. The Art and Architecture of Islam:1250–1800. 1994. Reprint, Harmondsworth: Yale University Press, 1995.