スルターン・ナースィル・ムハンマド(在位1294-95, 1299-1309, 1310-41年)

欧米語表記:al-Nasir Muhammad b, Qalawun (Mamluk Sultan) アラビア語転写表記:al-Ṣulṭān al-Malik al-Nāṣir Muḥammad b. al-Manṣaur Qalāwūn

前期マムルーク朝のスルターン(第10,13,15代)で、スルターン・カラーウーンの息子。兄のスルターン・ハリール(第9代)の死後に幼少で擁立されたため、当初は権力基盤が弱かったが、3回目の即位後は政敵を排除して、安定した治世を実現した。対外的には、対モンゴル関係を安定化させ、対内的には全領土を対象とした検地(ナースィル検地:1313−25年)を実施し、イクター制をとおした軍人による農村支配体制を整備し、独裁的な権力を握るにいたった。対外的な安定と、紅海と地中海をむすぶ通商路の安定により、後期を含めたマムルーク朝時代の最盛期が現出した。

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