スルターン・カンスーフ・アルガウリー(在位1501–17年)
欧米語表記:al-Ashraf Qansuh al-Ghuri (Mamluk Sultan) アラビア語転写表記:al-Sulṭān al-Malik al-Ashraf Qānṣūh al-Ghawrī
マムルーク朝の実質最後のスルターン(後期マムルーク朝第26代)。悪化した国家財政の再建、アナトリア東南部におけるオスマン朝、紅海・インド洋におけるポルトガルといった外敵への対処を行なった。しかし、ポルトガルには1509年に海戦で敗れたことによって、インド洋交易の主導権を奪われることとなった。さらには、1516年、オスマン朝に対応するためにスルターン自らシリア北部へ出陣したが、オスマン朝軍に敗れ、撤退途中に病死した。