中世におけるカーバ神殿と政治権力
1 Riḥlah, 1: 373–374;『大旅行記』2: 102–103.
この神殿は、アラビア語でキスワと呼ばれる覆い布で覆われている。教科書や新聞などで、メッカの聖モスクの中心部にある黒い布の掛けられた立方体の建物の周りを、白い衣装をまとった巡礼者が回っている写真を見たことがある方もいらっしゃるだろう。このカーバ神殿を覆っている黒い布こそがキスワである。現在では、サウジアラビア政府によって毎年黒の絹製のキスワが奉納されている2。この布は、マムルーク朝期には毎年公式の巡礼隊とともに聖地に送られ、前年のものと取り替えられていた。キスワを奉納するという行為は、聖地の守護者としての支配者の威信を示すという象徴的役割を担い、ムスリム諸国の君主たちによって自らの支配を正統化する一つの手段として利用されてきた3。2 日本でも、大阪にある国立民族学博物館で現代のキスワを見ることができる。民族学博物館では、1970年に開かれた大阪万博の際にサウジアラビア政府から寄贈されたキスワが展示されている(西尾, 2017)。
3 ʿAnqāwī, 1974: 156–157; Dekkiche, 2014–15: 257–258; Meloy, 2019: 14; Mortel, 1988: 39, 43–44; Van Steenbergen, 2016: 14, 18. イスラーム以前から15世紀までのキスワの歴史については、Mortel, 1988.
このキスワの奉納を巡って、13世紀から15世紀にかけて君主たちの間で起こった駆け引きを見ていくことにしたい。まず政治的背景について簡単に説明すると、10世紀後半から20世紀初頭までメッカは、預言者ムハンマドの子孫の家系の一つであるハサン家の者たちによって支配されていた。エジプトやイエメンなどに拠点を置いたムスリム諸国は、彼らの任免などに干渉することで間接的に政治的影響力を及ぼそうと試みていた4。13世紀前半以来、イエメンのラスール朝(1229–1454年)はメッカを一時占領するなど、聖地メッカの守護者としての役割を果たしており、定期的にキスワを奉納していた。しかし、13世紀半ばにエジプトで成立したマムルーク朝(1250–1517年)は二つの聖地メッカとメディナの守護者を名乗り、メッカでの政治的介入とともにキスワの奉納を始めた。そこで、ラスール朝との間でカーバ神殿の外側に飾るキスワをめぐる争いが起こった5。その後、マムルーク朝のスルターン・カラーウーン(在位1279–90年)は、1282年にメッカのハサン家の支配者アブー・ヌマイイ(1301年没)との間で、エジプトからのキスワを毎年飾るという約束を結んだ6。マムルーク朝スルターンにとって、キスワ奉納の権利を独占することは、二つの聖地の守護者としての自らの地位を固めるために必要不可欠なことだったのである。4 Ota, 2002.
5 ʿAnqāwī, 1985: 12–13, 15–17; Dekkiche, 2014–15: 259–260; Mortel, 1988: 39–40; Ota, 2002: 9; Peters, 1994b: 149–150; Vallet, 2010: 456–457. ラスール朝のスルターン・ムザッファル(在位1250–95年)は1252年以降定期的にキスワを奉納しており、1261年には自ら巡礼しキスワを奉納した。それに対し、マムルーク朝のスルターン・バイバルス(在位1260–77年)は1263年にメッカにキスワを奉納し、1269年に自ら巡礼した。イエメンのムザッファルは1268年と1273年に再度キスワを送った。史料によれば、ムザッファルの治世には、イエメンのキスワはしばしばエジプトの巡礼隊の出発後に飾られていた(Dekkiche, 2014–15: 259–260)。
6 ʿAnqāwī, 1985: 16–17; Dekkiche, 2014–15: 248, 257; Melville, 1992: 197–198; Mortel, 1988: 40; Ota, 2002: 9; Peters, 1994b: 149–150.
7 Broadbridge, 2008: 102; Dekkiche, 2014–15: 260; Melville, 1992: 202; Mortel, 1988: 40. マムルーク朝のスルターン・ナースィル・ムハンマド(在位1293–94年、1299–1309年、1310–41年)は翌1320年に巡礼し、聖地の守護者としての自らの地位を誇示した(Broadbridge, 2008: 102)。
8 1342年、1351年、1379年、1418年、1430年にラスール朝によってキスワが送られたという記録が残っている。これらのキスワも飾られることはなかった(Dekkiche, 2014–15: 260; Mortel, 1988: 40)。
9 カーバ神殿のキスワというと、通常は神殿の外部を覆う布を指し、本文中で特に明記せずに言及したキスワも神殿外部を覆う布のことである。ただし先行研究によれば、神殿内部にも壁や天井を覆う布が飾られており、これは「内部のキスワ」と呼ばれていた。この「内部のキスワ」については、史料中での言及が少なく不明な点が多い。通常の外部のキスワと異なり、外から見えない場所にあるため象徴的な重要性は低く、室内に飾られるために劣化しにくいこともあり、毎年掛けかえられることはなかったようである(Dekkiche, 2014–15, 261–263; Mortel, 1988: 45)。例えば、1359年にスルターン・ハサン(在位1347–51年、1354–61年)によって送られた金刺繍入りの黒の絹製の内部のキスワは、1423年にスルターン・バルスバーイによって送られた赤の絹製の内部のキスワに取りかえられるまで飾られていた(Dekkiche, 2014–15, 261–262; Mortel, 1988: 45)。バルスバーイとシャー・ルフによって送られた内部のキスワは、1452年、マムルーク朝のスルターン・ジャクマクによって送られた内部のキスワに掛けかえられた(Dekkiche, 2014–15, 255; Mortel, 1988: 46)。これ以外にも、1261年にラスール朝のスルターン・ムザッファルが外部のキスワと内部のキスワ両方を奉納した記録が残っている(Dekkiche, 2014–15, 259; Mortel, 1988: 39, 45)。
10 ʿAnqāwī, 1985: 17–18; Broadbridge, 2008: 200; Dekkiche, 2014–15: 253–256; Gouda, 1989: 53; Meloy, 2010: 138; Mortel, 1988: 40.
11 このほか、1472年、アナトリア東部からイラン西部を支配下に置いたアク・コユンル(14世紀後半–1508年)の君主ウズン・ハサン(在位1453–78年)は、マムルーク朝スルターン・カーイトバーイ(在位1468–96年)に対し、メッカにキスワを奉納する権利を要求する書簡を送り、1473年にキスワを送った。しかしこの試みも失敗に終わった(ʿAnqāwī, 1985: 18; Dekkiche, 2014–15: 260; Melvin-Koushki, 2011: 196; Mortel, 1988: 40)。
12 The Travels, 5: 83;『メッカ巡礼記』1: 239.
13 Riḥlah, 1: 372;『大旅行記』2: 100.
14 Dekkiche, 2014–15: 258–259; Mortel, 1988: 41–43.
15 現在は、世界各地の美術館でカーバ神殿の鍵を見ることができる。例えば、イスタンブルのトプカプ宮殿美術館には、マムルーク朝のスルターンたちから送られた複数の鍵が所蔵されている(Sourdel-Thomine, 1971: 60–75, 85, 90–93)。またカイロのイスラーム美術館では、マムルーク朝スルターン・シャーバーン(在位1363–77年)によって送られた1363年の銅製の鍵を見ることができる(Sayour, 2020)。さらにパリのルーヴル美術館には、マムルーク朝スルターン・ファラジュ(在位1399–1412年)によって送られた鍵が収蔵されている(“Clef de la Kaʿba”)。
16 Riḥlah, 1: 372;『大旅行記』2: 99.
17 The Travels, 5: 82–83;『メッカ巡礼記』1: 238–240.
18 Itḥāf: IV, 129, 191, 233, 417, 429, 567, 569, 577, 579, 589, 590, 592, 637.
19 Al-Taʿrīf: 139; 「『高貴なる用語の解説』訳注(5)」: 11.
20 Peters 1994b: 24, 135–140.
21 Itḥāf: III, 212.
22 Itḥāf: IV, 69.
23 Itḥāf: IV, 82–83.
参考文献
一次文献
Riḥlah: Ibn Baṭṭūṭa. Riḥlat Ibn Baṭṭūṭa al-Musammāt Tuḥfat al-Nuẓẓār fī Gharāʾib al-Amṣār wa-ʿAjāʾib al-Asfār. 1997. Rabat: Akādīmīya al-Mamlaka al-Maghribīya.
*日本語訳:家島彦一(訳注)1996–2002『大旅行記』平凡社.
The Travels: Ibn Jubayr. Muḥammad b. Aḥmad. The Travels of Ibn Jubayr. 1907. Leiden. *日本語訳:家島彦一(訳注)2016『メッカ巡礼記』平凡社.
Itḥāf: Ibn Fahd. ʿUmar b. Muḥammad. Itḥāf al-Warā bi-Akhbār Umm al-Qurā. 1983–1990. Mecca: Jāmiʿat Umm al-Qurā.
Al-Taʿrīf: Al-ʿUmarī. Al-Taʿrīf bi-al-Muṣṭalaḥ al-Sharīf l’Ibn Faḍl Allāh al-ʿUmarī. (Vol. 2 of A Critical Edition of and Study on Ibn Faḍl Allāh’s Manual of Secretaryship “al-Taʿrīf bi’l-muṣṭalaḥ al-sharīf.”) 1992. Karak: Muʾta University.
*日本語訳:谷口淳一(編)2014「『高貴なる用語の解説』訳注(5)」『史窓』71: 1–24.
二次文献
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—. 1985. “Kiswat al-Kaʿba fī al-ʿAṣr al-Mamlūkī,” Majallat Kullīyat al-Ādāb wa-al-ʿUlūm al-Insānīya 5 (1985): 1–22.
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