ワクフの宗教的・社会経済的意義
本解説のテーマであるワクフとは、端的に言えば、イスラーム諸王朝のもとで見られた寄進慣行をさす用語である(モロッコやチュニジアなどの北アフリカ地域ではハブスの呼称が用いられる)。とりわけ国家が福祉事業や救貧制度を体系的に整備する近代以前の社会においては、ワクフは公共事業や救貧福祉事業の大部分を担ってきたと言われている1。
1 Çizakça, 2000; McChesney, 1991.
本解説では、人びとが生活を送る上でワクフがどのような役割を果たしたのかを、カラーウーンの寄進施設が建設されたマムルーク朝(1250–1517年)の事例を中心に解説してゆく。
1.ワクフの法学上の定義とその形態
ワクフとは、「停止」という意味系を有するアラビア語起源の用語であり、文脈に応じて「寄進制度」「寄進事業」「寄進財」などをさす。「停止」を意味する用語が寄進を指すのは不思議に思うかもしれないが、要は個人が所有する財産の所有権を「停止」し、その収益を永久に慈善のために拠出する信託行為をさすのである。寄進財には永続性が求められたため、基本的には土地や住居などの不動産が多かったが2、不動産以外のワクフが妨げられたわけではなかった。たとえば、蔵書はしばしば寄進財となった。寄進された蔵書の表紙あるいは奥付には、「この書は何某が寄進したものである」と記されていることがある。モスクやマドラサを訪れる機会があれば、気軽に見ることができるので確認してみるとよいだろう。カラーウーンの寄進施設でも、生前に医師として病院に勤務したイブン・ナフィース(1288年没)という人物が蔵書をワクフに設定しているが、それは病院での医学教育を目的としたものであったと考えられる3。
2 ワクフに設定された財産は、基本的には賃貸借を通じて運用され、原則として1年、農地の場合には3年を上限として契約満了ごとにその都度契約を締結・更新する必要があった。だが、実務上の問題からしばしばこの原則は破られ、マムルーク朝ではヒクルと呼ばれる長期賃貸借の慣行が見られた。オスマン朝ではこの原則が公然と破られるようになり、長期賃貸借契約が不動産投資の一つの手法として定着した。Baer, 1986; Cattan, 1955: 209; 林, 2003: 189.
3 Munādama, 255.
ワクフの起源については、古代エジプトに求める説、ビザンツの教会寄進制度との関連を指摘する説、イスラムの勃興期に求める説などいくつかのバリエーションがあるが、比較的早い時期からその萌芽とみなせる制度はあったと考えてよいだろう4。
4 Amīn, 2014 : 11-15.
こうした法学上の定義とは別次元の問題として、ワクフがじっさいにどのようなかたちで運用・活用されるかは、時代や地域により異なった。そのため、研究者はワクフの具体像を掴むために、基金(ファンド)や信託財産になぞらえて理解する見方や5、財産保有の一形態と捉える見方などを提示し6、様ざまな視角からワクフの特徴づけに努めてきた。これらの研究は、過去の特定の王朝や地域でワクフが果たした役割や実態を明らかにする、いわゆる「歴史的ワクフ」を対象とするものであるが、ワクフはなにも前近代の遺物となったわけではない。その証拠に、近年では、イスラム金融の隆盛に伴い、ワクフの手法を金融商品の開発に活用しようとする動きもある7。
5 Çizakça, 2000; Cattan, 1955; 高岩, 2010.
6 五十嵐, 2011; Igarashi, 2015.
7 小杉, 長岡2010; 長岡, 2011.
2.ワクフの役割
上に述べたのは、ワクフの一般的なあり様であるが、以下ではじっさいの運営においてワクフがどのような役割を果たしたかについて見てゆこう。
(1) 都市のインフラストラクチャーの整備
まず、宗教関連・公益施設の運営が挙げられる。モスク(礼拝所)やマドラサ(学院)、さらには病院や給水施設などムスリムの生活を支える諸施設が、ワクフを通じて運営された。また、隊商宿(ハーンやカイサリーヤ、ワカーラの名称で知られる)や賃貸用の集合住宅(ラブア)も建設されたが、これらの施設は宗教関連施設・公益施設の運営を支える財源としての役割も担った。宗教関連・公益施設は受益対象(ワクフ対象)、商業・住宅施設は寄進物件(ワクフ物件)と呼ばれ、寄進物件の効率的な運用を通じて得られた収益(現物も含む)が受益対象のもとに運ばれた。こうした寄進物件と受益対象の有機的な結びつきが全体として、ムスリムの日常生活を形づくったのである。これらの諸施設は、人口の多い都市部に建設されることが多かったため、ワクフは都市のインフラストラクチャーを整備したと言える。
(2) 墓建築の永続性
他方で、マムルーク朝期にはワクフを通じて建設された宗教関連・公益施設の多くに、寄進者の墓廟が附置されている。このことは、活発な建設活動の目的が純粋に公益的なもののみならず、私益的な側面も併せ持っていたことを示している。イスラームの教えでは、墓は最後の審判の日までの「仮住まい」とされる。施設の運営が継続する限り墓廟の存続も期待できたため、宗教関連・公益施設に墓廟を附置する意図は最後の審判の日までの「仮住まい」を確保することにあったと言えよう。
さらに、宗教関連・公益施設に墓廟を附置するメリットは他にもあった。それは、墓廟を慈善の一つの拠点とすることであった。ここであるハディースを紹介しよう。「人が死んだとき彼の行為は(次の)三つの事柄を除いてそこで中断される。それらは繰り返し行われるサダカと役に立つ知識と彼のために祈りを捧げる品行方正な子供である8」。このうち、「繰り返されるサダカ」とは寄進者の死後も慈善活動が行われることを、「祈りを捧げる品行方正な子供」とは寄進者の救済を願う参詣者をさす。つまり寄進者は、死後も慈善を継続させることで、来世での救済をより確実なものにすることを期待した。宗教関連・公益施設と墓廟の結びつきは、ムスリムの救済観念とも関わっているのである9。
8 イマーム・ムスリム・ビン・アル・ハッジャージ2001, 2: 672(http://www.muslim.or.jp/hadith/smuslim-top-s.html)
9 サブラはこうした点を踏まえて、複合施設のレゾンデートルは墓廟にあると主張する。Sabra, 2000: 99.
カラーウーンの寄進施設でも、立派な円蓋を備えた墓廟が建設され、カラーウーン自身、さらにはその息子と孫が葬られた。墓廟内では、クルアーン解釈学やハディース学の講座が開設された。墓廟で教育がなされるのは一見不思議なように思えるが、じつはこれには合理的な理由があった。「仮住まい」である墓廟の脇で日常的にクルアーンとハディースが読誦されることは、死後の安寧を願うムスリムにとって理想的な環境であった。講座を開設する以外にも、墓廟でのクルアーン読誦を条件づけるワクフもあった10。
10 久保2019: 6.
(3) 寄進者の財産の保護と継承
ワクフをめぐるイスラーム法の規定では、(最終的には)慈善のために用いるという条件さえみたせば、寄進者が寄進財の用途を定めることができ、また存命中は寄進者が管財人としてその運用に直接かかわることも妨げられなかった11。この点は、他の宗教や社会に見られた慣行とは異なりイスラームに特有な寄進のあり様と言うことができる。
11 寄進者が運用に携わることについては、法学派によって見解が異なり、またしばしば同一法学派内でも論争の的となったが、同時代史料は寄進者が存命中は管財業務に携わる事例を多く伝えていることから、決して珍しい慣行ではなかったことがわかる。Peters, 2002: 63. カラーウーンの寄進施設でも、カラーウーンの存命中は彼自身が管財人を務めることを寄進文書で規定している。Tadhkirat, 1: 369.
こうした点に着目し、寄進者はしばしば私財を守るための手段としてワクフを利用した。マムルーク朝では、戦争や財政難のさいにしばしば為政者による財産没収が実施されたが、財産をワクフに設定することで、それを回避することが期待できた。なぜなら、ワクフにより寄進物件の所有権は消滅しており、その用益は原理的には公益(マスラハ)に使われているはずなので、それを没収することはイスラーム法を軽視していることを意味し、為政者の暴君としての姿を示すことに他ならなかったからである。
さらに寄進者はしばしば、財産を分割することなく子孫に継受させるためにもワクフを活用した。イスラーム法の規定では、財産の3分の1以上を一個人に遺贈することが禁じられているが、寄進者が寄進財の用途を定めることができるというワクフの利点を活かせば、イスラーム法の規定に抵触することなく財産分割を防ぎ、特定の個人にも財産を継受することができた。つまり、寄進者の没後はその子孫に管理権を委ねる条項を設定する、あるいは子孫を受益対象に指定することで、事実上の「相続」が可能となったのである。
(4) 救貧・慈善事業
このように、ワクフがどのように運用されるかは寄進者の裁量に委ねられていたため、寄進者とその親族が存命中には種々の利権や権限は寄進者の一族が掌握することが多かった。しかしながら、ほとんどのワクフでは寄進者の一族が途絶えたのちには、その収益は救貧・慈善事業のために使うことを規定していた。
たいていのワクフでは、「貧者のために」という文言が記されるのみであったが、具体的な用途を定めたワクフもあった。代表的なものとして、金曜日の集団礼拝の前夜やラマダーン月、犠牲祭などムスリムにとって重要な宗教催事のさいにサダカ(任意の喜捨)として貧者にパンと肉が配給されるワクフや、エジプトで収穫された小麦をメッカとメディナ(両聖都のことをまとめてハラマインと呼ぶ)に送り、ダシーシャ(小麦粥)とパンを貧者に配給することを定めたワクフ、またオスマン朝で発展したイマーレットと呼ばれる給食施設で旅人や学生、貧者に食事を提供するワクフなどがある12。とくにハラマインは預言者ゆかりの地であることから、多くのワクフで最終的な受益対象として好んで選ばれた。
12 伊藤, 2011; 長谷部, 2004; 林, 1989.
イスラーム法では、寄進者が管財人を指定していた場合を除き、ワクフはカーディーと呼ばれる法官が管理することが求められた。管財人が指名されていた場合であっても、その没後はカーディーがワクフを管理することとなっていた。そのため、もし寄進者が寄進時にワクフの用途を救貧・慈善に限定していなかったとしても、最終的にはカーディーの監督のもと、ワクフは救貧・慈善のために使われることが期待できた。
(5) 統治の正当化
ワクフのいま一つの重要な側面として、支配層を形成したマムルーク軍人による統治を正当化する役割を果たした点が挙げられる。マムルークとは元来、「所有されたる者」=奴隷を意味するが、同時代史料では、黒海やカスピ海沿岸などからエジプトに連れて来られたトルコ系・チェルケス系の軍人奴隷を意味する用語として用いられる。そのような外来かつ奴隷身分出身の人物がエジプト・シリア・ヒジャーズ地方を治め、支配秩序を維持するためには、被支配層の大多数を構成するアラブ・イスラーム教徒への配慮を示す必要があった。そのための手法として、ワクフはしばしばマムルーク軍人によって利用されたのである。
本解説では、紙幅の制約のため、カラーウーンの寄進施設が建設されたマムルーク朝の事例に限定して、ワクフのあらましを解説してきた。だが、第1節で述べたように、その発現形態は時代や地域により異なったため、ワクフのあり様を比較の視座から検証する研究プロジェクトが、これまでも進められてきたし、現在も進められている。これらのプロジェクトは、従来は過度に一般化されて論じられてきたワクフが、じつは時代や地域に根ざしたかたちで運用されていたこと、さらにはワクフが当該地域の歴史的発展とどのように結びついていたかを明らかにしつつある。経済社会を支えるメカニズムとしてのワクフがかくも多様であったことは、イスラームが決して一枚岩ではなく、各時代・各地域の人びとの生活を心理的にも物理的にも支える柔軟性と汎用性を持ちあわせていたことの一つの傍証とも言えよう。寄進を一つの切り口としてイスラームの特質を明らかにできる点は、ワクフを研究する醍醐味でもある。
13 国際共同研究プロジェクトの成果発表の場として、例年のように研究集会が開催されている。たとえば近年では、2013年7月にフランスで開催された“From Practice to Norm- From Norm to Practice: Administrative Waqf and Other Foundations”、2014年6月にアルジェリアで開催された “International Workshop on Waqf and its Terminology: Between Local Social Practices and Jurisprudential Norms”、2015年12月に日本(東洋文庫)で開催された“Comparative Study of the Waqf from the East: Dynamism of Norm and Practices in Religious and Familial Donations”、2016年10月にシンガポールで開催された“Workshop on Muslim Endowments in Asia: Waqf, Charity and Circulations”、同年12月にカタールで開催された “Waqf Workshop”、 2017年にドイツで開催された“Stiftung in der Weltgeschichte”、2018年にマレーシアで開催された“International Conference on History and Governance of Awqaf in South and Southeast Asia: Colonial Interventions and Modern States ”、直近では2020年2月にシンガポールで開催された”Cross-cultural and Comparative Study of Donation, Endowment and Benefit”などが挙げられる。このうち、2015年の東京での議論はMiura, 2018として、2017年のドイツでの研究集会を主催した研究プロジェクトの成果はBorgolte, 2017としてまとめられている。
参考文献
一次文献
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