城塞(カイロの)

欧米語表記:Citadel of Cairo/Citadel of Saladin アラビア語転写表記:Qal'at Ṣalāḥ al-Dịn al-Ayyūb bil-Qāhira (Qal'at al-Jabal) 別称:サラディンの城塞

アイユーブ朝のサラディンによって、ムカッタムの丘陵に建設された城塞。サラディンは、十字軍に備えてカーヒラ(ファーティマ朝の宮殿都市)とフスタート(アムルのモスクを中心とする南の市街地)を包み込む市壁を計画するとともに、軍事的基地としての城塞を建設した。城塞は北と南からなるが、アイユーブ朝にさかのぼるのは北の城塞で、マムルーク朝期に南への拡張が進み、南に諸宮殿やスルターン・ナースィル・ムハンマドのモスクが建設された。オスマン朝末期には南に宮殿等の諸施設が並び、北は軍人が住む市街となっていた。ムハンマド・アリー朝に城塞としての改築が進み、南の囲いのマムルーク朝の宮殿を壊してムハンマド・アリー・モスクが建てられ、北の囲いは市街を一掃してハーレムとなった。

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