カスル・アブラク(アブラク宮殿、消失)

欧米語表記:Qasr Ablaq アラビア語転写表記:Qaṣr al-Ablaq

スルターン・ナースィル・ムハンマドによって1315年にカイロの城塞に建てられた宮殿で、スルターン・バイバルス1世が1266年にダマスクス郊外に建設した、カスル・アブラク(縞模様の宮殿)にちなんで命名されたという。現在は消失している。城塞に建設された宮殿に関しては、スルターン・カラーウーンが1286年に建築した大謁見広間(イーワーン・カビール)は、19世紀初頭までは現存していたため、ナポレオンの『エジプト誌』に描き残されている。その平面は大ドームをいただく広間を柱廊が取り巻く形式であった。1985年の発掘により、その近傍にマムルーク朝のカーアが発見され、柱の銘文からスルターン・アシュラフ・ハリールの宮殿であることが判明した。アブラク宮殿に関しては、これらの近傍にあり、城下を見下ろす4つの広間をもっていたという情報が残るのみである。

出典:Abdulfattah, Iman R. and Sakr, Mamdouh Mohamed , Glass Mosaics in a Royal Mamluk Hall: Context, Content, and Interpretation, Behrens-Abouseih, Doris ed. The Arts of the Mamluks in Egypt and Syria, 2012, Bon University Press

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