コスマテスク装飾の世界

2021年 03月31日

記事ID:0010

タグ:建築コスマテスク

執筆者:秋岡 安季

イスラーム建築は地域や時代に応じてさまざまな魅力を放っているが、例えば、イスファハーンのイマーム・モスクなどに見られる目にも鮮やかなモザイク・タイルはその一例だろう。建築装飾としての施釉タイルは、エジプトやメソポタミアといった古代オリエント世界に起源を持ち、イスラーム圏を中心に用いられてきた技法だ。一方の古代ギリシア・ローマ世界では、色大理石を用いたモザイク装飾が主流であった1。ここでは、大理石モザイクが発展した結果、中世に生み出された技法の一つである「コスマテスク」と呼ばれる装飾について取り上げてみたい。

1 前田, 1992: 34.

サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂
床面の舗装としてコスマテスク装飾が施されている。

「コスマテスク(Cosmatesque, Cosmati)」とは、大理石や色石を細かく切って石材の地にはめこみ、豪華な装飾図案を描く技法である。12世紀から13世紀にかけてローマを中心に中央イタリアで発達した2。コスマテスクという名は、この技法を使用した職人の代表的な一族である「コスマティ家(Cosma)」に由来している3。また、コスマテスク装飾を使用した作品が見られる地域は、当時ローマ教皇が支配していた領地とよく合致するため、教皇庁の権威を誇示する一つの手段として利用されていたのではないかとも考えられている4

2 コスマテスクの定義についてはBrigstocke, Hugh(ed.). 2001: Cosmati Workを参照のこと。
ただし、コスマテスクという語の適用範囲については研究者によって様々であり、後述するような他の地域で制作された同時代の幾何学モザイクがコステマスクと呼ばれる場合もある。Pajares-Ayuela, 2002: 28–30.
3 かつての研究ではコスマティ家のみがこの技法を使用したと考えられていたが、近年では作品に残された職人たちのサインから、複数の家系が関わっていたことが明らかにされている。Pajares-Ayuela, 2002: 31.
4 コスマテスク装飾を使用した作品のほとんどはイタリアに集中しているが、唯一、ロンドンのウエストミンスター・アビーにも見られる。また、コスマテスクと教皇庁のパトロネージについてはGlass, 1969を参照。

色石を用いた幾何学モザイク自体はヨーロッパ各地で見られるが、なかでもイタリアはその中心地であり、地域ごとに特色ある図案を持っていた。当時のイタリア美術はローマ帝国時代の伝統に加え、イスラーム世界、ビザンツ帝国、そしてカロリング朝という3つの要素から影響を受けていた。よって、その土地における幾何学モザイクのデザインは、各要素の比重によってまったく異なる様相を呈していたのだ5

5 Pajares-Ayuela, 2002: 22–23.
イスラームの影響は南部に色濃く、ビザンツ帝国の影響はイタリア全域に渡っていたが、とりわけヴェニスのようなアドリア海沿岸北部、イタリア半島南部、そしてシチリア島で強かった。また、カロリング帝国の影響はローマを含むイタリア半島北部で強かったとされている。

例えば、イタリア南部ノルマン・シチリア王国のパラティーナ礼拝堂の幾何学モザイクのデザインを見てみよう。多角形と共に星形のモチーフが登場したり、同じ図形を反復して敷き詰めていく技法は、イスラームのモザイク・タイルやムカルナスに用いられた幾何学と共通項が多く、この地域がイスラームの強い影響を受けていたことをうかがわせる6。一方、イタリア北部に位置するヴェネツィアのサン・マルコ寺院で用いられた図案はどうだろうか。ビザンツ帝国からの影響が特に強く現れていたこの地方では、いくつもの曲線が織り合わされたような模様を描いている。

6 シチリア島は9世紀半ばにイスラーム圏に入ったが(アッバース朝支配下にあったアグラブ朝)、11世紀後半にノルマン人によって占領され、12世紀後半にはイタリア半島の南半分を含むノルマン・シチリア王国が成立した。イスラーム建築に用いられる幾何学については、深見, 2003: 153–163を参照。

  • ノルマン王宮パラティーナ礼拝堂
    (シチリア島・パレルモ)
  • サン・マルコ寺院(ヴェネツィア)

コスマテスク装飾の図案に目を移してみると、円形のモチーフとそれを取り囲むロープのような帯状装飾を主な構成要素としている。とりわけ、中央の大きな円形の周囲に4つの小さな円形が配置された図案はクインカンクス(quincunx・五の目型)と呼ばれ、コスマテスクの大きな特徴である。また、直線上に連なった円形模様を縒りあわせるように帯状装飾が取り囲む図案もよく用いられた。サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂は、これら2つの要素がみられる典型的な事例だ。

サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂
コスマテスクは円形の色石をそのまま使用する点が特徴的だ。

コスマテスク装飾が最も多く使用されたのは床面の舗装だが、職人たちの活動はそれだけに留まらなかった。司教の玉座や燭台、説教壇、回廊の列柱、墓など、教会堂内のあらゆる場所にコスマテスクは使用されていた。当時、教会堂を新築することは非常にまれで、多くの場合、コスマテスクの職人たちは既存の建物の破損状況に応じて、回廊や鐘塔といった新たな要素を追加しながら増改築を行っていた。彼らは教会堂の内装に携わるだけでなく、ときには建築家のような役割も果たしながら、ローマ市内だけで実に85の教会堂建設に関わったとされている7

7 Pajares-Ayuela, 2002: 57–58.

左:サンタ・マリア・イン・アラコエリ大聖堂 説教壇
右:サン・パオロ・レ・ムーリ大聖堂 回廊
手前の列柱に加え、奥に見えるエンタブラチュアの部分にもモザイク装飾を確認することができる。

さて、古代ギリシア・ローマ時代から色大理石によるモザイク装飾が見られたことは冒頭で述べたとおりだが、コスマテスクが成立していく過程をもう少し詳しく見ていくこととしよう。

古代末期、3世紀以降にはすでに、地中海周辺地域でコスマテスクに用いられたような図案を確認することができる。もちろん、ローマも例外ではない。このモチーフは床の舗装だけでなく、絵画、彫刻、ミニアチュール、織物など、いたるところに使用されていた。しかし、当時のモザイク装飾と中世のコスマテスクとの間には大きな相違点がある。それは、中世のコスマテスクが大きさも形状もまちまちな石材を使用するのに対して、古代のモザイク装飾は均一な大きさの小片によって構成されているということだ。そして、この小片の色彩に微妙な変化をつけることで、一つの模様のなかに立体的に見える効果が生み出されている。平面的な印象を与えるコスマテスクと比べると、その違いがよくわかるだろう。

古代後期の遺跡、ラ・オルメダ(スペイン)
コスマテスクに似た帯状装飾と円形モチーフの組み合わせが見られ、帯状装飾の部分からは立体的な印象を受ける。

その後、コスマテスク装飾の誕生にとって重要な変化が地中海東岸地域で起こった。6世紀頃のビザンツ帝国において、図案の形をかたどった、より大きな色石のかけらを切り出す技法がこのモチーフに用いられ始めたのだ8。6世紀の聖ヨハネ聖堂(エフェソス)や7世紀のカレンデルハネ・ジャーミィ9(イスタンブール)など、各地に古代の伝統を塗り替える新しい類型の装飾が生み出されていった10。また、古代のモザイク装飾においては、帯状装飾で囲まれた中央部分に、動植物などの具体的な図像や幾何学模様を描くことが一般的だった。しかし6世紀頃から、モザイク職人に代わって石切職人たちが次第に活躍しはじめると、細かなモザイクではなく一枚の大きな斑岩が用いられるようになった11

8 元々はエジプトやアナトリア地方に起源を持つこの技法は、オプス・セクティーレ(opus sectile)と呼ばれる。そして均一な小片を用いる技法のことをオプス・テッセラトゥム(opus tessellatum)という。
9 ただし、カレンデルハネ・ジャーミィが現在のようにイスラーム教のモスクとなったのは15世紀のことである。元々はローマ時代の浴場があった場所に建設された、教会堂建築であった。
10 カレンデルハネ・ジャーミィの事例についてはStriker, C. & Kuban, Y. 1971を参照。
11 工期や労力の節約のためではないかと考えられている。

デムレの聖ニコラス教会(トルコ)

当時はマケドニア・ルネサンスが花開いていたということもあり、この新たな装飾は帝国内の各地へと伝わっていった。また、イタリア中部、ローマのやや南方に位置するモンテ・カッシーノ修道院で行われた11世紀の再建では、コンスタンティノープルから呼ばれた職人が床面の装飾を担当したことがわかっている。東部からやってきたビザンツ帝国の職人たちとその土地の職人の協同作業や、それに伴う技術の伝播も、ローマの装飾技法に深く影響を与えたと考えられる。さらにローマの職人たちにとって、周囲に捨て置かれた古代遺跡の円柱を再利用できるという点でも、この技法は都合が良かったのであろう12

12 Pajares-Ayuela, 2002: 121, 125–130.
 ローマでもオプス・セクティーレを用いた舗装自体は初期キリスト教時代から制作されていた。しかし、この技法と、円形と帯状装飾から成るモチーフを組み合わせた点においてビザンツ帝国の装飾は革新的であったといえよう。

もちろん、以上の内容はあくまでコスマテスク装飾が生み出された過程の一部でしかない。例えば、色石の色彩や、(サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂の写真からも見て取れるように)大理石による直線の帯で小さな区画に分割していく手法は、ローマ帝国時代の伝統に由来するものだと考えられている13。ここで一つ一つを紐解いてゆくことは叶わないものの、ほかにも細かな部分を埋める幾何学模様やクインカンクスのモチーフなど、コスマテスク装飾には各地方の伝統が幾重にも積み重なっていることを感じさせる。

13 SPajares-Ayuela, 2002: 130–133, 143–144.

コスマテスク職人の一派は1300年ごろに途絶えてしまうが、中世の技術を用いた「後期コスマテスク」とも言える作品がイタリア・ルネサンス期に生み出されている。ラファエロが描いたフレスコ画で名高いヴァチカン宮殿の「署名の間」もその一例だ。大きなクインカンクスの中央の円形に、小さなクインカンクスが入れ子状に組み込まれていたり、クインカンクスを形作っている帯状装飾のなかに更に円形と帯状装飾のモチーフが見られるなど、中世のものに比べ一層複雑で細かな技巧が凝らされていることがわかる14。一般に、ルネサンス文化が中世を野蛮な時代であると断罪し、古典古代の文化を理想としていたことはよく知られている。しかし、古代ローマ遺跡の材料を転用したり、その装飾のモチーフを下地としていたコスマテスクは、中世の産物でありながらもルネサンス美術に受容されやすかったのかもしれない。

14 有名なドナト・ブラマンテによるテンピエットにもこの「後期コスマテスク」が見られる。

ヴァチカン宮殿・署名の間

さて、本プロジェクトの対象建造物であるカラーウーンの寄進施設内の廟にも、色石を用いたモザイク装飾が見られることに触れておきたい。写真のものはコスマテスクというよりも、ノルマン・シチリア王国のパレルモ宮殿やパラティーナ礼拝堂といった、イタリア南部で用いられていたモザイク装飾と似通っている。このモザイク装飾は、巡歴していた職人が雇われて制作されたと考えられている15。また、スルターン・バルクーク(在位1382-89年、1390-99年)が同じくカイロに建設した複合建築では、ビザンツの事例やコスマテスクと同じように、円形の色石をそのまま使った床の舗装を確認することができる16。こうした事例からは、ビザンツ帝国やイタリアで発達を遂げたモザイク装飾が、マムルーク朝建築にも大きく影響を与えていたことがうかがえる。

15 Abdulfattah. 2020: 277–278.
16 スルターン・バルクークが建設した複合建築においても、礼拝室や中庭などの床面に円形の石による装飾が用いられている。

ややかけ足ではあるものの、コスマテスクを中心に、古代から中世にかけてのモザイク装飾について解説してきた。かたやローマ教皇のお膝元に建てられた教会堂建築と、かたや海を挟んだ向こう側でイスラーム王朝のスルターンによって建設された複合施設。一見すると、両者は全く無関係なものに思えるかもしれない。しかし、モザイク装飾という1つの観点をとっても、そこからは異なる文化圏の装飾美術が伝播と融合を繰り返しながら変容していくさまが見えてくるのだ。

カラーウーンの寄進施設 廟
スルターン・バルクークによる複合建築

参考文献

Abdulfattah, Iman R. 2020. The Complex Qalāwūn in Cairo: Connoisseurship in Early Mamluk Architecture. Walker, Bethany J. & Ghouz, Abdelkader Al. (eds.) Living with Nature and Things: Contributions to a New Social History of Middle Islamic Periods. Bonn University Press. 259–284.

Brigstocke, Hugh(ed.). 2001. Cosmati Work. The Oxford Companion to Western Art. Oxford: Oxford University Press.
(https://www.oxfordreference.com/view/10.1093/acref/9780198662037.001.0001/acref-9780198662037-e-632?rskey=GcjM0F&result=1 [最終アクセス2020年10月3日])

Glass, Dorothy. 1969. Papal Patronage in the Early Twelfth Century: Notes on the Iconography of Cosmatesque Pavements. Journal of the Warburg and Courtauld Institutes. vol.32. 386-390.

Hessemer, Friedrich Maximilian. 1842. Arabische und Alt-Italienische Bau-Verzierungen. Berlin: G. Reimer. 

Pajares-Ayuela, Paloma. 2002. Cosmatesque Ornament: flat polychrome geometric patterns in architecture. London: Thames & Hudson.

Schultz, R. W. & Barnsley, S. H. 1901. The monastery of Saint Luke of Stiris, in Phocis, and the dependent monastery of Saint Nicolas in the Fields, near Skripou, in Boeotia. London: Macmillan.

Sterlin,H. & Sterlin, A. 1997. Splendours of an Islamic World. London: Tauris Parke Books.

Striker, C. & Kuban, Y. 1971. Work at Kalenderhane Camii in Istanbul: Third and Fourth Preliminary Reports. Dumbarton Oaks Papers, 25, 251-258.

深見奈緒子. 2003. 『イスラーム建築の見かた 聖なる意匠の歴史』. 東京堂出版.

前田正明. 1992. 『タイルの美:西洋編』. 冬青社.

図版出典

サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂:
Dnalor 01 / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rom,_Santa_Maria_in_Cosmedin,_Innenansicht_2.jpg

ノルマン王宮パラティーナ礼拝堂(シチリア島・パレルモ)
Hessemer, 1842. From the New York Public Library.
https://digitalcollections.nypl.org/items/510d47d9-697e-a3d9-e040-e00a18064a99

サン・マルコ寺院(ヴェネツィア)
Hessemer, 1842. From the New York Public Library.
https://digitalcollections.nypl.org/items/510d47d9-6977-a3d9-e040-e00a18064a99

サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂:
Sailko / CC BY ( https://creativecommons.org/licenses/by/3.0)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Santa_croce_in_gerusalemme,_interno,_03_pavimento_cosmatesco.jpg

サンタ・マリア・イン・アラコエリ大聖堂 説教壇:
Peter1936F, CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Santa_Maria_in_Aracoeli;_Ambo_Nord.JPG

サン・パオロ・レ・ムーリ大聖堂 回廊
Kuld / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:San_Paolo_fuori_le_mura_cloister.JPG

ラ・オルメダ遺跡のモザイク装飾:
LaTeyasamartino, CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mosaico_romano_Olmedo_Valladolid.jpg Valdavia, CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ancient_Roman_Mosaics_Villa_Romana_La_Olmeda_005_Pedrosa_De_La_Vega_-_Saldaña_(Palencia).JPG

聖ニコラス教会
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:St._Nicholas_Church,_Demre_5398.jpg Dosseman, CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)

ヴァチカン宮殿・署名の間
Lure / Public domain
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Raffael_Stanza_della_Segnatura.jpg

カラーウーンの寄進施設
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_second_most_beautiful_mausoleum_of_the_world_(after_the_Taj_Mahal)_-_The_Mausoleum_of_Sultan_Qalawun_-_The_Qalawun_complex_(14609029000).jpg Jorge Láscar from Melbourne, Australia, CC BY 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/2.0)

スルターン・バルクークの複合建築
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cairo,_madrasa_del_sultano_barquq,_interno,_pavimento_06.JPG
Sailko, CC BY 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/3.0)

執筆者プロフィール

秋岡 安季(Aki Akioka)

東京大学工学系研究科建築学専攻・博士課程

1993年生。2018年に東京大学工学系研究科にて修士(工学)を取得後、進学。専門は中世イングランド建築史で、現在は修道院や大聖堂に見られるチャプターハウスという部屋に着目した研究を進めている。

ひとこと

中学生の頃にフランスのシャルトル大聖堂を訪れたことがきっかけで、中世の建築とその歴史に興味を持ちました。建物自体も勿論ですが、その建物がどのように使われていたのかなど、建築を通して当時の人々の生活や考え方を知ることに特に関心があります。最近の楽しみは、休日にトランポリンで身体を動かすことです。

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