アブドゥル・ラフマーン・カトフダー(1715-1776年)

欧米語表記:‘Abd al-Rahman Katkhda アラビア語転写表記:al-Amīr 'Abd al-Raḥmān Katkhdā, ('Abd al-Raḥmān b. Ḥasan Jāwīsh al-Qāzdaghlī)

カイロ生まれのアミール。父は当時オスマン朝エジプト州の実権を握っていた軍事集団カーズダグリーヤの領袖であった。彼も1740年に領袖に就任するが、すぐに失脚する。その後復権を果たすも、のちにオスマン朝に反旗を翻すアリー・ベイ(?-1773)との権力闘争に破れて、最終的にはメッカに亡命した。慈善事業に熱心であったことでも知られ、カイロ旧市街にサビール・クッターブを建設したほか、マンスーリヤやアズハル・モスクをはじめとするそれ以前に建てられた宗教施設への寄進や修復も行った。

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