アイユーブ朝(1169−1250年)

欧米語表記:Ayyubid Daynasty アラビア語転写表記:al-Dawla al-Ayyūbīya

エジプト、シリアを中心に、ジャズィーラの一部、イエメンを支配したスンナ派の王朝。カイロに都をおいた。創始者のサラーフ・アッディーン(サラディン)(在位1169−93年)はザンギー朝に仕える軍人であったが、1169年にファーティマ朝の宰相に任命され、71年にはファーティマ朝カリフを廃して、アッバース朝カリフの宗主権を認めるスンナ派の支配体制を復活させた。その後シリアからジャジーラへと配権を広げたが、拡大した領土は一族に封土として分与されてその支配が任されたため、彼の死後に同王朝の領域は分割され、半独立の政権が樹立され独立君侯国の連合体という体制となった。実質的に最後のアイユーブ朝スルターンとなったサーリフ(在位1240−49年)は、多数のトルコ人マムルークを購入し、バフリー・マムルーク軍団を創設した。1249年にサーリフが没すると、翌年に起こった彼らのクーデターにより同王朝は滅亡した。その後のマムルーク朝は、サラーフ・アッディーン(サラディン)によりエジプトに導入されたイクター制やスンナ派の統治体制などを継承し、発展・整備されていった。

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