スルターン・サーリフのマドラサ(1243–50年創建)

欧米語表記:Salihiyya Madrasa, Madrasa of Sultan Salih Negm al-Din アラビア語転写表記:al-Madrasa al-Ṣāliḥīya

アイユーブ朝第4代スルターン・サーリフが1243年に着工したマドラサ。父カーミルが建設したマドラサに隣接する。入口通廊の両側に、2イーワーン式の建築を2棟並べて、4イーワーンのマドラサとした。サーリフが1249年に死去したのちに、妻でありマムルーク朝初代スルターンであるシャジャル・アッドゥルがサーリフの墓を北西の隅に付設した。カイロにおける宗教複合施設として、寄進者の墓を含む最初の例となった。マムルーク朝期にはこのマドラサは4法学派の裁判所として機能し、サーリフの廟は王朝の儀式に使用された。現在は、廟、ミナレットのある入口、北側のマドラサの一部が残る。

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