マクリーズィー(1444年没)
欧米語表記:al-Maqrizi, Taqi al-Din Abu al-Abbas Ahmad b. 'Ali b. 'Abd al-Qadir b. Muhammad アラビア語転写表記:al-Maqīizī, Taqī al-Dīn Abū al-'Abbās Aḥmad b. 'Alī b. 'Abd al-Qādir b. Muḥammad
カイロ出身のウラマー(イスラーム知識人)であり、マムルーク朝期を代表する歴史家。マドラサの教授職やムフタスィブ(市場監督官)といった役職を勤めたが、後半生は著作活動に集中した。彼の著作は、同時代に襲った飢餓、ペストの流行、政情不安といった社会情勢を記すだけでなく、それらの事象に対する批判・分析や解決策の提示を行なった点で特筆される。主要な著作にはエジプト誌を集成した『街区と遺跡の叙述による警告と省察の書(al-Mawāʿiẓ wal-Iʿtibār bi-Dhikr al-Khiṭaṭ wal-Āthār)』(通称:マクリーズィーのエジプト誌 Khiṭaṭ al-Maqrīzī)や、年代記の『諸王朝知識の旅(Kitāb al-Sulūk li-Ma'arifa Duwal al-Mulūk)』などがある。