イスラームのステンドグラス

2021年 03月31日

記事ID:0011

タグ:建築ステンドグラス

執筆者:秋岡 安季

「ステンドグラス」という言葉を聞くと、キリストや聖母が描かれたキリスト教の教会堂を思い浮かべる読者の方が多いのではないだろうか。その一方でイスラーム建築におけるステンドグラスはというと、なかなかイメージが湧きにくいのではないかと思う1。しかしその実、イスラーム建築にも見事なステンドグラスは数多く残されている。下の2枚の写真は、イギリスのヨーク・ミンスターとスルターン・バルクークの複合建築のステンドグラスである。どちらも14世紀に制作されたものだが、両者を見比べてみるとその違いは一目瞭然だろう。

1 イスラーム圏において、色付きガラスがはめ込まれた窓のことはカマリーヤ(qamarīya)やシャムスィーヤ(shamsīya)などと呼ばれていた。しかし、ここでは呼び方をステンドグラスに統一した上で話を進めていく(Flood, 1997: 1-16)。

ヨーク・ミンスター身廊西窓
スルターン・バルクークの複合建築
正面の壁面上部の開口部にステンドグラスがはめられている

「イスラームのガラス産業については器や花瓶といった工芸品に焦点が当てられることが多く、窓の歴史は語られることが少ない。ここでは、キリスト教圏(ゴシック建築)とイスラーム世界(マムルーク朝建築)のステンドグラスにおける違いについて、製法と題材という2つの側面から見ていこう。

そもそもガラスはいつから歴史に登場するようになったのだろうか。紀元前3000年ごろのシュメール(現在のイラク南部・クウェートにあたる地域)では、既にガラスが制作されており、そこからエジプトやイラン、地中海東岸地域へと各地に技術が伝播していったことが分かっている2。かたやステンドグラスの起源については、遺構の少なさから曖昧な部分が多い。板ガラスはローマ帝国時代から建物の窓に使われていたと推測され、5世紀には色の付いた窓ガラスがあったという記録も残されている3。またイスラーム圏でも、カスル・アルハイル・アルガルビー(Qasr al-Ḥayr al-Gharbī )やカスル・アルハイル・アルシャルキー(Qasr al-Ḥayr al-Sharqī)といったウマイヤ朝の宮殿跡から、色付きのガラス片や窓枠の一部が発見されている4

2 ガラス産業は特にイスラーム圏で大きな発展を見せている。初期イスラーム時代には優れたサーサーン朝の技術を受け継ぎ、らせん状の縦溝模様や蜂の巣状の文様、鳩の目文様といった装飾が施された美しいガラス瓶や器が現在でも多く残されている(ヴルフ, 2001: 175-176)。
 また、イスラームのガラス産業についてはアルハサン, 1999: 202-211も参照。
3 イングランド北部では7-9世紀のガラス片と、枠に使用されていたと思われる鉛が出土している(ラガン, 2005: 32)。
4 ウマイヤ朝時代の遺構についてはFlood, 1997: 17-23を参照。
また以下のサイトでは、カスル・アルハイル・アルガルビーの出土品を元に復元された、スタッコの窓枠を見ることができる。 https://archnet.org/sites/4138/media_contents/131672(最終アクセス:2020年12月29日)

さて、まずはステンドグラスの制作手順を簡単に確認しておこう5。その工程は大まかに4つの段階に分けることができる。
 ① 板ガラスの制作:主に「マフ法」「クラウン法」と呼ばれる2種類の方法が用いられ、その製法は現在もほとんど変わっていない6
 ② 裁断:草案を元に原寸大で描かれた図案に沿って、ガラス板を切り取る7
 ③ 絵付け:塗料で細部の装飾を施したり、陰影をつけていく8
 ④ 結合・窓枠への固定

両者で大きく異なるのはガラスを窓枠へ固定する方法だ。西洋では、鉛枠を使用する方法が一般的であるのに対し、イスラームではスタッコの板を用いて固定する。

5 西洋のステンドグラス製法については、リー, 1980: 177-194、グロデッキ, 1987: 24-34、ラガン, 2005: 32-55に詳しく解説されている。また、イスラーム圏の製法についてはFlood, 1997: 23-27, 146-148を参照。
6 イスラーム圏では、溶融ガラスを浅いトレイに入れ、上からローラーをかけることで均一な厚みを持つ板ガラスを制作する方法もとられた(Flood, 1997: 23)。
 また、YouTubeで「glass muff method」「glass crown method」等の言葉で検索すると、実際の作業の様子を見ることができる。
7 14世紀以前のステンドグラスの草案については残っているものがほとんどないが、数少ない例として大英博物館に所蔵されている、『ガスラック画巻』(12世紀後半)の原図の写しが挙げられる。http://www.bl.uk/manuscripts/FullDisplay.aspx?ref=Harley_Roll_Y_6 (最終アクセス:2020年12月29日)
8 西洋における製法では絵付けのあと、再度加熱することによって塗料を定着させるのに対し、イスラーム圏ではこの工程が行われない。

西洋で好まれた鉛枠による工法では、断面がHの形をした鉛縁の部材に両側からガラス片をはめ込み、接合部分をハンダ付けで固定していく9。そして、ロマネスク建築からゴシック建築への移行期には、ステンドグラスにも大きな変化が生じた。厚い壁によって天井の荷重を支えていたロマネスク建築では、大きな窓を開けることができない。よって、比較的小さく仕切りのない半円形アーチの窓が主流となっていた。しかし、フライング・バットレスや控え壁といった新しい構造の仕組みによって建物を支持するゴシック建築においては、より大きな窓を備え付けることが可能となる。これに伴い、ステンドグラスの形状も複雑さを増し、複数の細長いランセット窓10とその上部に三つ葉や四葉の形をした窓を配置することにより、全体で大きな尖頭アーチ窓を構成する。個々のステンドグラスをつなぐ石積みの部分(トレーサリー)も次第にプレート状のものから、より骨組を強調するほっそりとしたものになっていく。こうした窓枠の分割は時代が下るとともに細かく複雑に、そして地域ごとの特色を見せながら発展し、ゴシック後期にその頂点を極めた11

9 中世ヨーロッパにおけるガラスとステンドグラスの制作方法については、12世紀末にテオフィルスと称する修道士(その正体は金属工芸技術師だったのではないかとも考えられている)が著した『さまざまな技法について(De Diversis Artibus)』の中で詳細に説明されている。この本は邦訳で読むことが可能(テオフィルス. 1996. 『さまざまの技能について』. 森洋 (訳・編). 中央公論美術出版)。
また鉛が使用された理由としては、比較的安価であったこと、形を変えやすく作業が容易であったこと、天候や温度に対する耐久性があったことが考えられている(リー, 1980: 186)。
10 ランセット窓とは、ゴシック建築にしばしばみられる、背の高く細い尖頭アーチ窓のことを指す。この名称はその姿がlance、すなわち槍に似ていたことに由来している。
11 ゴシック建築におけるステンドグラスの発展についてはグロデッキ, 19892: 18、窓枠の変遷についてはリー, 1980: 20-23を参照。

サン・セルナン教会(11-13世紀)
サント・シャペル(13世紀半ば)

どっしりとした重量感のあるロマネスク教会に対し、ゴシックは強い垂直性を感じさせ、軽やかな印象を受ける。

一方、イスラーム圏で用いられたスタッコは、取り扱いが簡単かつ費用が安く済むために、古くから重要な建築材料として使用されてきた素材である12。元々は日干しレンガの壁を天候から守る保護剤の役割を果たしていたが、彩色や繊細な浮き彫りといった装飾を施すことにも適していたため、ミフラーブをはじめイスラーム建築の各所で見事なスタッコ細工を見ることができる。また、スタッコの板をくり抜いてガラスをはめない、クラウストラ(claustra)と呼ばれる明かり取りや通気性のための窓も後期古代から制作されていた13

12 アケメネス朝時代には既に漆喰が床材や壁材として使用されていた。ペルシア建築ではもともと石膏漆喰が使用されていたが、3世紀ごろからローマで長く使用されていた石灰モルタルの使用が広まる。イスラーム圏における建築材としての漆喰やスタッコの使用についてはヴルフ, 2001: 136-138, 143-146およびMichell, 1978: 115, 123, 138-9を参照。
13 クラウストラは古代ローマや初期キリスト教時代においても製作されていた。材質も漆喰だけにとどまらず、金属や石材、木材のものも知られている(Flood, 1997: 27-30)。

イスファハーンの金曜モスクのミフラーブ
アミール・スンクル・サアディーの複合建築

ガラスのないクラウストラはマムルーク朝建築においても確認することができる。

さて、イスラーム圏のステンドグラスでは、まず図案に沿って穴が開けられた厚さ3cm強ほどのスタッコ板の上に、開口部よりもやや大きくカットされたガラス片を配置する。その上から今度は厚さ1cmに満たない薄いスタッコ板で挟むことによってガラスを固定した。この際、よりしっかりと定着させるために濡れた漆喰も利用されたと考えられている。また、前述したようなスタッコの性質を活かし、窓枠の表面には彫刻による装飾が施された。スタッコが完全に乾燥したあと、ガラスと窓枠のコントラストを高めて光の印象を強くするために、暗色の塗料がスタッコ板に塗布されることもあった14
この製法は14世紀ごろまで使用され続けていたが、マムルーク朝時代にはある変化がみられる。サンドイッチのように2枚のスタッコパネルでガラスを挟むのではなく、一枚のスタッコ板の上にガラスを配置し、濡れた漆喰を薄くつけることでこれを固定する方法が生み出されたのだ15。この新たな技術では古いものよりも素早く仕上げることが可能になり、ガラスの取り外しも簡単であったことから、マムルーク朝のスルターンによる数々の建設事業に対応し作業効率を上げるために生み出されたのではないかと推測されている16

14 Flood, 1997: 23-27
15 また、スタッコパネルに開けられた穴に傾斜をつけることによって、地上から窓を見上げたときにその図案がより見えやすいように工夫されたことも指摘されている。
16 Flood, 1997: pp.146-148 なお、オスマン帝国のアナトリア地域では古い技術が使われ続けていた。

では、ステンドグラスで扱われた題材についてはどのような違いがあったのだろうか。西洋のステンドグラスは、冒頭でも触れた通り、旧約聖書や新約聖書の場面を切り取ったものが主な主題とされる17。特に、シャルトル大聖堂における聖母マリアのように、その教会堂が捧げられた守護聖人をテーマとする窓は、しばしば教会堂の中で重要な位置を占めていた。植物のモチーフや幾何学模様も縁飾りの部分に使用されてはいたものの、その扱いは多くが副次的なものであった。
ゴシック建築のステンドグラスにおける特徴として、11世紀後半のアウグスブルク大聖堂にみられるような正面性の強い人物表現に比べ、描かれるポーズの種類が豊富になり、表情もより写実的なものへと変化していくことが挙げられる。また、イエス=キリストの系譜を表した《エッサイの樹》18と呼ばれる図像など、すらりと背の高いゴシックのステンドグラスの形状を活かした表現もみられた19

17 ステンドグラスにおける聖書の題材とその表現方法については、リー, 1980: 24-27, 32-37を参照。
18 この主題は、ダビデ王の家系から救世主が現れるという旧約聖書イザヤ書11章第1節〜第2節と、イエス=キリストがダビデ王の子孫にあたることを示す新約聖書マタイによる福音書1章第1節〜第16節から引き出されたものである。11世紀末ごろに写本の挿絵に登場したのち、サン=ドニ修道院教会堂とシャルトル大聖堂における使用をきっかけとしてステンドグラスの図像として度々用いられた。
19 同様の表現の例として、イギリスのテュークスベリー修道院やドイツのストラスブール大聖堂聖カタリナ礼拝堂のステンドグラスなどでは、そびえたつ美しい尖塔の下に人物を描く図像がみられる。

アウグスブルク大聖堂(11世紀後半)
イートン・ビショップ教会堂(14世紀)
シャルトル大聖堂・エッサイの樹

また12世紀以降には、そのステンドグラスに出資した人物、即ち寄進者の姿がしばしば描かれるようになる。ゴシック建築の誕生において先駆的な役割を果たしたサン=ドニ修道院長のシュジェールは、その修道院教会堂のステンドグラスに窓を捧げ持つ姿が描かれている。寄進者像の多くは聖職者や王侯貴族が占めているものの、ときには職人や商人たちによるギルド(同業者組合)もその姿を見せた。寄進行為には、もちろん神への信仰心を示す霊的な役割があったが、窓を寄進できるだけの財力があるというその人物の権威を喧伝する現世的な意味も含まれていたと考えられる。彼らは具体的な人物像として描かれることもあれば、名前が記されたり、紋章が使用される場合もあった20

20 リー, 1980: 40-41, ラガン, 2005: 18-21, 61-62.

  • サン・ドニ修道院教会堂(12世紀)
  • フライブルク大聖堂(14世紀)

フライブルク大聖堂では、中央下にハンマー、やっとこ、火を象徴するサラマンダーのような動物によって鍛冶屋のギルドが表されている。

かたや人物などの具象的な表現が控えられていたイスラーム圏では、植物や幾何学模様が主題の中心を占め、西洋の図案とはかなり異なる様相を呈している。いくつか具体的な事例を見ながら解説していこう21。但し、マムルーク朝時代の建築に取り付けられているステンドグラスは、その多くが近代以降に修復され取り替えられている点に注意が必要である。
カラーウーンの寄進施設の廟では、装飾模様によって埋め尽くされたステンドグラスがみられる。幾何学図形を用いた窓では六点星が規則的に現れたり、植物を模したような紋様の窓では中心線を軸に線対称な構成をとるなど、イスラーム建築で用いられた幾何学の特徴に則っている。また、イスラーム建築でしばしば登場する馬蹄形アーチの窓が2つ並び、その上部の円形窓とセットになったものは、ゴシック建築のステンドグラスの形式に似ているともいえよう。

21 マムルーク朝建築のステンドグラスについてはFlood, 1997: 112-146を参照。

  • カラーウーンの寄進施設・廟(内観)
  • カラーウーンの寄進施設・廟(外観)
カラーウーンの寄進施設・廟(ドーム内部)

外観写真によってスタッコ板による装飾模様をはっきりと見ることができる。

こうしたステンドグラスの構成は、ナースィル・ムハンマドの複合建築ではより複雑なものとして現れている22。ミフラーブの上に備え付けられたステンドグラスは、全体としてはゆるやかな尖頭アーチをもつ。2連の長方形窓の上部に横長の帯状の窓が並び、さらにその上にはティンパヌム(扉口の上部で、まぐさとアーチによって囲まれた部分)のような部分を冠している。長方形窓には丸い壺から植物が伸び、両脇には木々の図像が描かれている。また、帯状の部分には信仰告白(シャハーダ)の文言がモチーフとされる。このような碑文をモチーフとする点もイスラームの特徴で、冒頭のスルターン・バルクークの複合建築のステンドグラスにおいても確認することができる23
また、ザイン・アッディーン・ユースフの廟では、ドームを支えるムカルナスの部分にステンドグラスが使われ、引き伸ばされた六角形や五角形の窓が何段にも積み重なってドーム全体を装飾する。この廟とカラーウーンの寄進施設の写真でもみられるように、ドームの基部をぐるっと囲むように開口部を設けて採光する手法は、キリスト教の教会堂でもしばしば用いられるものだ。

22 このステンドグラスは近代の修復によるもののため、建設当初の正確な窓の分割やデザインについては分かっていない。しかし、同様の分割方法やモチーフはカイロに建てられたマムルーク朝建築において複数の事例でみられる特徴である。例えば、サーリフ・タラーイのモスクのミフラーブ上部に作られたステンドグラス(モスク自体は、ファーティマ朝期に創建されたものだが、14世紀初頭の地震のあとに修復工事が行われており、このステンドグラスはそのときに製作されたものだと考えられている)など(Flood, 1997: 117-118)。
23 キリスト教建築においても、アウグスブルク大聖堂のステンドグラスでみられるように、人物の描写と共に碑文が描かれることはある。

ナースィル・ムハンマドの複合建築
ザイン・アッ=ディーン・ユースフの廟

ここまで、キリスト教圏とイスラームのステンドグラスの差異に注目しながら話を進めてきた。最後に、両者の繋がりを感じさせる事例を紹介して終わりたい。禁欲的生活を理想とした、シトー会修道院のステンドグラスである24。シトー会の建築は彩色や豪華な彫刻をよしとしなかったために、他の修道会建築に比べて簡素で装飾が少ないことでよく知られている。彼らは、透明なガラスにモノクロで模様を描いた「グリザイユ技法」を使用して植物や幾何学といったモチーフをステンドグラスに描き、質素ながらも洗練された窓を生み出していった25。そして注目すべきは、例えば前述のオバジーヌ修道院とカスル・アルハイル・アルガルビーなど、いくつかの事例においてその装飾模様がイスラームのステンドグラスのものと非常に類似しているという点だ。図案が伝播した経路など、その詳細な背景については曖昧な部分もあるものの、違う文化圏でありながら具象的な表現を否定するという共通点を持った両者が同じようなステンドグラスを制作していたことは興味深い。ステンドグラスはとかくキリスト教圏のものが注目されがちではあるが、イスラーム世界の職人たちもまた独自の様式を発展させ、そしてそれらは西洋の窓に対する影響力を持ち得る存在であったのだ。

24 シトー会のステンドグラスについてはラガン, 2005: 75-77、特にイスラームとの関係についてはグロデッキ, 1987: 39-42を参照。
25 グリザイユは次第にシトー会以外の教会堂建築でも使用されるようになる。イギリスのヨーク・ミンスターの北翼廊にかけられたファイブシスターズウィンドウなどが有名。

参考文献

Al-Hassan, Ahmad Y. & Hill, Donald R. 1986. Islamic Technology: An Illustrate History. Cambridge University Press. (アフマド・Y・アルハサン, ドナルド・R・ヒル. 1999. 『イスラム技術の歴史』. 大東文化大学現代アジア研究所(監修). 多田博一, 原隆一, 斎藤美津子(訳). 平凡社.)

Flood, Finbarr Barry. 1997. Palaces of Crystal, Sanctuaries of Light: Windows, Jewels and Glass in Medieval Islamic Architecture. Ph.D. diss. University of Edinburgh.

Grodecki, Louis. 1977. Le Vitrail Roman. Office du Livre. (ルイ・グロデッキ. 1987. 『ロマネスクのステンドグラス』. 黒江光彦(訳). 岩波書店.)

Grodecki, Louis. 1984. Le Vitrail Gothique. Office du Livre. (ルイ・グロデッキ. 1992. 『ゴシックのステンドグラス』. 黒江光彦(訳). 岩波書店.)

Lee, Lawrence, Seddeon, Geroge & Stephens, Francis. 1976. Stained Glass. Mitchel Beazley. (ローレンス・リー, ジョージ・セドン, フランシス・ステンファンス. 1980. 『Stained Glass』. 黒江光彦(訳). 朝倉書店.)

Michell, George(ed.). 1978. Architecture of the Islamic World: Its History and Social Meaning. Thames and Hudson.

Raguin, Virginia Chieffo. 2003. The History of Stained Glass: The Art of Light Medieval to Contemporary. Thmes& Hudson. (ヴァージニア・チエッフォ・ラガン. 2005. 『世界ステンドグラス文化図鑑』. 別宮貞徳(監訳). 東洋書林.)

Wulff, Hans E. 1966. The Traditional Crafts of Persia: Their Development, Technology, and Influence on Eastern and Western Civilizations. M.I.T. Press. (ハンス・E. ヴルフ. 2001. 『ペルシアの伝統技術−風土・歴史・職人』. 大東文化大学現代アジア研究所(監修). 原隆一, 禿仁志, 山内和也, 深見和子(訳). 平凡社.)

図版出典

スルターン・バルクークの複合建築:
Jorge Láscar from Melbourne, Australia, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mihrab_(marking_the_direction_of_the_Kaaba_in_Mecca)_-_Madrasa_of_Sultan_al-Zahir_Barquq_(14803204015).jpg

ヨーク・ミンスター:
Diliff, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:York_Minster_West_Window,_Nth_Yorkshire,_UK_-_Diliff.jpg

サン・セルナン教会:
PierreSelim, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nave_-_Basilique_Saint-Sernin.jpg

サント・シャペル:
Didier B (Sam67fr), CC BY-SA 2.5 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sainte_chapelle_-_Upper_level.jpg

イスファハーンの金曜モスク、ミフラーブ:
Amir Pashaei, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Oljaytu_mihrab.jpg

アミール・スンクル・サアディーの複合建築:
Casual Builder, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Madrasa_of_Sunqur_Sadi_dome_exterior_decoration.jpg

アウグスブルク大聖堂:
Hans Bernhard (Schnobby), CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:King_David_in_Augsburg_Cathedral.jpg

イートンビショップ教会堂:
cc-by-sa/2.0-©︎ Michael Garlick-geograph.org.uk/p/4624159

シャルトル大聖堂、エッサイの樹:
Micheletb, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chartres_49-rectifié.jpg

サン・ドニ修道院教会堂:
Jacques MOSSOT, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Basilique_Saint-Denis_-_Verrière_de_l%27Arbre_de_Jessé_-_Suger.JPG

フライブルク大聖堂:
Paperoastro, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Stained_glass_of_the_Freiburg_cathedral-2.jpg

カラーウーンの寄進施設、廟(内部):
Sailko, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cairo,_madrasa_del_sultano_qalaun,_mausoleo,_interno_05.JPG

カラーウーンの寄進施設、廟(外観):
Sailko, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cairo,_madrasa_del_sultano_qalaun,_04.JPG

カラーウーンの寄進施設、廟(ドーム):
Sailko, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cairo,_madrasa_del_sultano_qalaun,_mausoleo,_interno_07.JPG

ナースィル・ムハンマドの複合建築:
Sailko, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cairo,_madrasa_del_sultano_an-nasr_mohammed,_interno_05.JPG

ザイン・アッ=ディーン・ユースフの霊廟
© Victoria and Albert Museum, London http://collections.vam.ac.uk/item/O1286125/pendentive-of-dome-in-the-photograph-kac-creswell

執筆者プロフィール

秋岡 安季(Aki Akioka)

東京大学工学系研究科建築学専攻・博士課程

1993年生。2018年に東京大学工学系研究科にて修士(工学)を取得後、進学。専門は中世イングランド建築史で、現在は修道院や大聖堂に見られるチャプターハウスという部屋に着目した研究を進めている。

ひとこと

中学生の頃にフランスのシャルトル大聖堂を訪れたことがきっかけで、中世の建築とその歴史に興味を持ちました。建物自体も勿論ですが、その建物がどのように使われていたのかなど、建築を通して当時の人々の生活や考え方を知ることに特に関心があります。最近の楽しみは、休日にトランポリンで身体を動かすことです。

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