人間と3つの世 〜現世―バルザフ―来世〜 集成と分類

人間と3つの世 〜現世―バルザフ―来世〜 集成と分類
ムハンマド・シャウキー・アル=カッシャーウィー
訳 栗原 利枝

本記事の原文(アラビア語)はこちらからダウンロードいただけます

はじめに
生と死は、すべての人の目に明らかな事実である。生命の起源に関する見解に相違はあれど、イスラームにおいてはアッラーこそがすべての創造主であり、生かし死なせるものとされる。また、死に関しても様々な見解・思想・哲学が知られているが、死は確かに議論の余地がない事実であり、イスラーム教徒か否かを問わず、すべての人が信じるものである。

読者の皆様が手に取ってくださった本書では、クルアーン、真正ハディース、タフスィール、ハディース解釈のみに依拠しながら、イスラームの観点から生と死の概念を示していく。その目的は、イスラームにおける生の真理、さらにイスラーム教徒の生の見方について明らかにすることである。こうしたことはすべて、イスラーム教徒の言動に大きな影響を与え、強い信仰心の結果、彼らの慣習や思考にまで影響を及ぼした。

現世は今我々が生きている世であり、死はそれとはまた別の2つの世である。その2つの世には現在我々が生きている世界のような2つの異なる世界がある。

本書では、現世、バルザフ、来世の3つの世を取り上げる。
はじめに、現世と死の直前の人間の状態について示すため、アーダム創造と創造の過程について扱う。この問題は、泥土から創られた人間の存在、そしていかに魂がその体を動かすのかという点について考える上で非常に重要である。なお、人間の魂はアッラーの魂の一部であり、人間が3つの世を旅する際に大きなカギを握る。
続いて、アーダムの最初の子孫と人類史上初の殺人事件あるいは死、さらに埋葬のはじまりについて取り上げる。また、死の状態、天使の訪れ、死の天使、死の直前の人間の状態、遺体の洗浄、タクフィーン(遺体を布で包むこと)、埋葬についても言及する。
第2章では、第2の世、つまりバルザフについて扱う。本章では、魂の体への回帰、2体の天使による質問、信仰者と不信仰者あるいは罪人の様子、また墓の中での安楽と懲罰について取り上げる。
第3章では、3つ目の世、つまり来世への移動について扱う。来世は復活と最後の審判をもって始まり、各人に書が手渡されその末路が知らされる。続いて楽園とその安楽及び民の様子、さらに火獄とその民についても取り上げる。

なお、本書を執筆するにあたってクルアーンとハディースの引用が限定的であった点につきご了承いただきたい。と言うのも、中には多くの説明を要するハディースもあり、さらに、特に本書が翻訳される場合には、言語的・文化的側面まで考慮しなくてはならないからである。
神のご加護があらんことを…



1. 集成と分類
イスラーム思想において、人間は3つの世を経験する。
第1の世: 現世。現在我々が生きている世界。
第2の世: バルザフ。死後に始まる世界であり、地上における生の終末よりも前。
第3の世: 来世。最後の審判の後の世界であり、楽園か火獄のいずれかに行くことになる。
これら3つの世について説明する前に、まずはアッラーがいかに人間を創造したのかという点と、人間が地上に存在する理由について明らかにしたい。

人間の創造
いと高きアッラーはアーダムを創造し、地上の代行者となした。

≪そしておまえの主が天使たちに、われは地に代行者をなす、と仰せられた時のこと、≫(Q2:30)

アッラーは泥土からアーダムを創造した。

≪おまえの主が天使たちに、「われは泥土から人間を創造する者である」と仰せられた時のこと。「それゆえわれがそれを整え、その中にわが霊から吹き込んだ時、彼に向かって跪拝して身を伏せよ」。≫(Q38:71-72)

イスラーム教徒はアッラーがアーダムを特別な方法で創造したと信仰しており、これはダーウィンの進化論で主張されていることとは異なる。

アーダム創造は3つの段階を経た。

第1段階: 土の段階

≪また彼の諸々の徴には、彼がおまえたちを土くれから創り給うたことがある。そして、するとどうだ、おまえたちは人間となり、(地上に)散って広がっている。≫(Q30:20)

ハディースにおいて預言者ムハンマドは次のように述べている。
<アッラーは地上全体から取った一握りの土からアーダムをお創りになった。それ故その子孫たちはその土と同じように赤い者、白い者、黒い者がおり、その中には滑らかな者とザラザラと粗い者、さらに邪悪な者と善良な者がいる。>

伝承者: アブー・ムーサ―・アル=アシュアリー
ハディース学者: アル=アルバーニー
引用元: サヒーフ・アブー・ダーウード
ハディース番号: 4693
信憑性: サヒーフ

第2段階: 泥土の段階
アッラーはこの土に水を混ぜ、泥土にした。以下は整列章の中のアッラーのお言葉である。

≪まことに、われらは彼ら(人間)を粘りのある泥土で創った。≫(Q37:11)

第3段階: 粘土の段階
この泥土は乾燥するまでしばらく放置され、粘土のようになった。

≪人間を陶器のようなからからの粘土から創り、≫(Q55:14)

魂の吹き込み
力強く偉大なるアッラーはアーダムの体に自らの魂の一部を吹き込み、敬意を表してアーダムに跪拝するよう天使たちに命じた。

≪おまえの主が天使たちに、「われは泥土から人間を創造する者である」と仰せられた時のこと。「それゆえわれがそれを整え、その中にわが霊から吹き込んだ時、彼に向かって跪拝して身を伏せよ」。そこで、天使たちは彼らすべてが一斉に跪拝した。≫(Q38:71-73)

アーダムの子孫に関する証言
<マーリク、アッ=ティルミズィー、アブー・ダーウードによれば、ムスリム・ビン・ヤサールは以下のように述べた。ウマル・ビン・ハッターブはクルアーンの以下の部分について問われた。≪また、おまえの主がアーダムの子孫から、彼らの腰からその子孫を取り出し、彼ら自身の証人とならせ給うた時のこと。「われはおまえたちの主ではないか」。彼らは言った。「いかにも。われらは証言します」。おまえたちが復活(審判)の日に、「まことにわれらはこれについて見落としていた」と言うことが(ないように)。≫(Q7:172)>
これに関して、アッラーは預言者ムハンマドに以下を仰せられた。「ムハンマドよ、アーダムの子がその親たちから取り出された時、神の名を唱えなさい」。そして彼らは神の唯一性を確認し、互いにそれを証言し合い、確たるものとした。(タフスィール・アッ=タバリー)

人間のフィトラ(本性)
すべての子供は神が定められたフィトラをもってイスラーム教徒として生まれてくる。
<アル=ブハーリーの真正ハディースによると、預言者は以下のように言った。「すべての子供は(神が定められた)本性をもって生まれてくるが、その後、両親がユダヤ教徒やキリスト教徒あるいはマギ教徒(ゾロアスター教徒)にしてしまう」。>

アーダムの肋骨から創られたハウワー(イヴ)
アッラーはアーダムの右の肋骨からハウワーをお創りになり、彼の妻とした。2人は楽園で暮らしていたが、悪魔に誘惑され地上に落とされる。その時から人間はアッラーが人間をお創りになった場所に戻ることとなったのである。そのため、人間が死ぬとその体は土にかえり、魂はアッラーの元へ戻る。なぜなら人間の魂はアッラーの魂の一部だからだ。

アーダムの子孫と誕生
男性と女性の結婚によりアーダムの子孫が続いていく。
アーダムの子供たちの中から、1度目の出産で生まれた男児と2度目の出産で生まれた女児、1度目の出産で生まれた女児と2度目の出産で生まれた男児がそれぞれ結婚した。このようにしてアーダムの子らは増えていった。

人類史上初の殺人事件と人の死
人類で初めて人が死亡したのは、カービールが兄のハ―ビールを殺害した際のことである。

≪だが、彼の自我は自分の兄弟の殺害を彼にそそのかし、そして彼は兄弟を殺し、損失者たち(の一人)となった。≫(Q5:30)

カービールが兄の遺体をどうすれば良いかわからず途方に暮れていると、そこへ一羽のカラスがやって来た。そのカラスは死んだカラスの亡骸を運んで来て地面に埋めたのである。カービールはそれを見て埋葬のやり方を学び、兄を埋葬した。

≪そこで、アッラーは彼にカラスを遣わし、それは地を掘って、その兄弟の屍骸をどのように隠すかを彼に見せた。彼は言った。「なんと情けないことか。私はこのカラスほどのものとなって、私の兄弟の屍骸を隠すことさえ出来ないのだ」。こうして彼は後悔する者の一人となった。≫(Q5:31)

このようにして、アーダムの子らは地上における現世の旅を始め、死生観を学んでいった。

イスラームの観点から見た現世

現世の虚飾
アッラーは現世を遊びと戯れとされた。イブン・マンズールによると、アラブ人は女、息子、結婚、金に現を抜かした。これらすべてのものが現世の中身であり、クルアーンにもある通り人々の欲望から来るものである。

≪人々には諸々の欲望(の対象物へ)の愛着が飾り立てられた。女、息子、莫大な金銀の財宝、焼き印を押された馬、家畜や耕地などの。≫(Q3:14)

「現世」という言葉はクルアーンの中で3つの文脈で用いられる。1つ目は現世に対する警告、2つ目は来世の現世に対する優位性、そして3つ目は来世を最重要としつつも現世での分け前についても忘れてはならないということである。現世の描写とその真実について、クルアーンに以下の文言がある。

≪また、彼らには現世の譬えを挙げよ。天からわれらが下す水のようで、それによって大地の草木は入り混じるが、やがて(乾いた)破片となり、風がそれを吹き散らす。≫(Q18:45)

クルアーンによれば、現世は農業のサイクルに似ている。それは水滴から始まり、最後には藁のような乾いた破片となり、価値のないものであるかのように風であちこちに吹き散らされる。

現世の短さとくだらなさ
イスラームにおいては真の世とされる来世と比べれば、現世は短く、くだらない脆いものである。

≪おまえたちは知れ、現世は遊びにして戯れ、そして虚飾であり、おまえたちの間での誇示のし合い、財産と子供における多さの競い合いにほかならないと。ちょうど慈雨の喩えのようなもので、その(雨による)植物は不信仰者たちを感嘆させるが、それから枯れ、おまえはそれが黄色くなるのを見、それからそれは枯れ屑となる。そして来世には厳しい懲罰があり、また、アッラーからの御赦しと御満悦がある。そして現世はまやかしの享楽にほかならない。≫(Q57:20)

現世の人々の立場
実際には現世は喜悦を必要としていないにも関わらず、現世の人々は現世での生活を喜んでいる。現世の楽しみはすぐに消滅するまやかしの享楽に過ぎない。それは愛着ではなく、警告と覚醒を要するものである。
≪そして彼らは現世を楽しむが、現世は来世に比べれば、(僅かな儚い)享楽に過ぎない。≫(Q13:26)

現世への警告
アッラーはまやかしの現世の誘惑に引きずられないよう人間に警告した。

≪現世とその装飾を望んでいた者、われらは彼らに彼の行いをそこで完全に返済しよう。そして彼らはそこで減らされることはない。それらの者は、来世には獄火のほかになにもない者たちである。そしてそこで彼らがなしたことは台無しとなり、彼が行ったことは無駄である。≫(Q11:15-16)

つまり、現世での利益を求め必死になって装飾を追求していた者に対して、アッラーはそれらを段階的にお与えになる。しかし、その後の来世におけるその者の報いは損失となる。

来世こそが真の住まい

≪そして現世は遊びと戯れに過ぎず、来世の住まいこそ畏れ身を守る者にはより良いものである。≫(Q6:32)

来世の住まいについて詳細に見てみると、それこそが人間にとっての残りの真の幸福であり、すぐに消えてなくなる現世の幸福とは異なる。

≪そしておまえたちに与えられたどんなものも、現世の享楽であり、その装飾である。一方、アッラーの御許にあるものは一層良く、一層残るものである。それなのに、おまえたちは悟らないのか。≫(Q28:60)

現世と来世のバランス
クルアーンでは、現世と来世の両方を合わせて考えられる者が賞賛されている。

≪また、彼らの中には、「われらが主よ、現世において良きことを、また来世において良きことを与え給え。そして、われらを獄火の懲罰から守り給え」と言う者がいる。≫(Q2:201)

また、預言者ムーサ―の言葉に以下のものがある。

≪「また、われらにこの現世において良きことを、また来世においても書き留め給え。」≫(Q7:156)

さらに、アッラーは以下の言葉でイブラーヒームを褒め称えている。

≪そして、われらは彼に現世で良きことを与えた。そして、まことに彼は来世において正しい者たち(の一人)である。≫(Q16:122)

また、以下の文言も存在する。

≪そしてアッラーがあなたに与え給うたもの(財産)のうちに、来世の住まいを求めよ。そして現世でのあなたの分け前を忘れるな。≫(Q28:77)

また、これに関するハディースは以下の通りである。

<アブー・サイード・フドリーは伝えている。預言者は言われた。「まことに、地上は清らかで緑多く心地よい。アッラーは、あなた方をこの地上における彼の代理人となし、どのように行為するかをみようとなさっておられる。それ放、地上での行為を正し、女性からの誘惑を避けなさい。まことに、イスラーイールの人々にとって最初の災いとなったのは、女性によってひき起こされたものだったのです」。>

<サハル・ビン・サアドによると、預言者は言われた。「アッラーにとって現世が蚊の羽ほどの価値しかないならば、不信仰者に一口の水も飲ませることはなかっただろう」。>(アッ=ティルミズィー、イブン・マージャ。アル=アルバーニーによりサヒーフとされる)

<アブー・フライラによると、預言者は言われた。「現世とそこにいる人々はすべて呪われている。アッラーを喜ばせるズィクル、敬虔な学者たち、知識を求める者を除いては」。>(アッ=ティルミズィー、イブン・マージャ、アル=バイハキー。アル=アルバーニーによりハサンとされる)

<アブー・フライラによると、預言者は言われた。「現世は信仰者にとっては監獄だが、不信仰者にとっては楽園である」。>(アッ=ティルミズィー、イブン・マージャ。アル=アルバーニーによりサヒーフとされる)

死の問題

≪だれもが死を味わう。そして、おまえたちは復活(審判)の日にのみ報酬を十分に支払われる。≫(Q3:185)

すべての人間は必ず死ぬ。これは明白な事実であり、アッラー以外に生き続けるものはない。

≪その上に(地上に)いる者はすべて消えるもの。だが、おまえの主の威厳と厚恩を帯びた御顔は残る。≫(Q55:26-27)

死の瞬間
死までの準備時間:魂が人間の体から出ていくための準備期間。特に高齢の場合は死因によってその状況や死までの時間が異なる。しかし、この準備時間はすべての例に共通している。(死因は様々だが、死そのものは共通している)。
その際、人間は混乱状態に陥り意識が混濁する。この状態は死の酩酊状態と呼ばれる。また、睡眠と覚醒の間をさまよったり、幻覚を見たり、意識が朦朧としたりする。

死の天使の出現

≪言え、「おまえたちについて任された死の天使がおまえたちを召し上げ、それからおまえたちの主の許へおまえたちは帰(かえ)されるのである。」(Q32:11)≫

死の天使が複数の天使と共に現れる。

≪おまえたちの一人に死が訪れると、われらの使徒たち(天使たち)が彼を召し上げ、彼らは怠ることはない。≫(Q6:61)

コルトビーによると、イブン・アッバース等によると、 ≪われらの使徒たち(天使たち)が彼を召し上げ≫ の部分は死の天使の助けを指している。死の天使は人間の体から魂を抜き取るのだという。

魂が体から出て行く時、視線はそれを追う
死の天使が魂を人間の体から抜き取る際、その人の視線は自身の魂に向けられる。

<ウンム・サラマによると、預言者がアブー・サラマの所に来たが、その時彼の両目は開いたままだった。預言者は彼(死者)の目を閉じた。そして「魂が出て行く時、視線はそれを追う」と言った。その時、彼の家族の幾人かが泣き叫んだ。預言者は「あなた方自身を呪ってはならぬ。良きことを口にせよ。それは、天使達があなた方のいうことを保証するからである」と言った。次いで「おお、アッラー、アブー・サラマをお許し下さい。正しい信仰に生きた人達の中で彼の地位をお上げ下さい。彼を彼の子孫達の代理者とされますように。万有の主よ、われわれや彼を許し給え。彼の墓を広くされ、彼のためにその場所を明るくさせ給え」と祈った。>

死者の状態と天使たちの立場

魂を抜き出すための殴打
天使たちが死にゆく人を叩いて魂を抜き取ることもある。それは魂が自身の悲惨な末路を知っているため、体から出ようとしないからである。

≪そしてもしおまえが、不正な者たちが死の苦しみの中にあり、天使たちが「おまえたちの魂を差し出せ」と両手を広げるのを見るならば。「今日、おまえたちは、おまえたちがアッラーについて真実でないことを言い、彼の諸々の徴に対して高慢であったがゆえに屈辱の懲罰の報いを受ける」。≫(Q6:93)

クルアーンの注釈者らによると、天使たちは死者を叩くため両手を広げる。

≪そしてもしおまえが見るならば。天使たちが信仰を拒んだ者たちを、彼らの顔や背を打ちながら召し上げるその時に。≫(Q8:50)

(つまり、天使たちは死にゆく人から魂を抜き取るために叩く。そのため天使たちは言う、「魂よ、出てこい」と。)
不信仰者らが死を迎える際には、天使たちから、アッラーのお怒りに触れたため火獄へ行き鎖につながれ苦痛と懲罰を与えられるということを知らされる。故に魂は体から出ようとしない。その結果、天使たちは不信仰者らの魂が体から出るよう、体を叩くのである。
他方、信仰者については、死の天使が頭の横に座り次のように言う。「善なる魂よ、アッラーの赦しと承諾のもとに出てきなさい。信仰者の魂は注がれる水のごとく容易に体から出てくる。」

魂は体から出る前に喉元に到達する
人が死を迎えた時に起こることは、たとえその跡が見えたとしても、それ自体は我々の目には見えない。死を迎える人についてアッラーは次のように仰せられた。

≪どうしたことか、それ(霊・魂)が(死に臨む者の)喉元まで達した時―その時、(その場に立ち会った)おまえたちは座視していた。われらはおまえたちより彼(死に臨む者)に近いが、おまえたちは目にしていない―≫(Q56:83-85)

つまり、魂が喉元まで達した時、その場に立ち会った者たちは死の天使が魂を抜き取るところは見えていなかったにしても、死に臨む者が死の酩酊状態に苦しむ様子は座視していた。さらに、

≪彼は彼の僕たちの上に立つ支配者であらせられ、おまえたちに「監査者たち(天使)」を遣わし、おまえたちの一人に死が訪れると、われらの使徒たち(天使たち)が彼を召し上げ、彼らは怠ることはない。≫(Q6:61)

さらに別のアーヤでも

≪断じて、(魂が喉元を囲む)鎖骨に達した時、そして(周囲の者に)言われた。「(あなたがたのうち)誰が呪医ですか」。そして彼(瀕死の者)は、それがかの別離であると思った(確信した)。そして脚は脚に重なる。その日、おまえの主の方(裁定)に追い立てはある。≫(Q75:26-30)

ここで言う鎖骨とは、喉と肩の間の骨のことである。
魂は段々と両足から両膝まで上り、喉元まで達する。その後その魂を死の天使が受け取り、天に昇る。アッラーはこのように仰せられた。

≪安らいだ(信仰者の)魂よ、おまえの主の許に、満足し、御満悦に与って戻れ。それでわが僕たちの(集団の)中に入れ。そして(彼らと共に)わが楽園に入れ。≫(Q89:27-30)

≪われらの諸々の徴を嘘だと否定し、それに対して高慢な態度を取った者たち、彼らには天の扉は開かず、ラクダが針穴を通るまで、彼らが楽園に入ることはない。そしてこのようにわれらは罪人に報いる。≫(Q7:40)

信仰者への吉報と不信仰者への懲罰
これに関してはクルアーンの中で幾度も言及されている。

≪まことに、「われらの主はアッラー」と言って、そうして真っすぐに立った者、彼らの上には天使たちが降る。「恐れることはない、悲しむことはない。そしておまえたちが約束されていた楽園の吉報に喜べ」と。「われらは現世においておまえたちの後見であり、また、来世においても。おまえたちにはそこにおまえたち自身が欲するものがあり、おまえたちにはそこにおまえたちが求めるものがある。よく赦し給う慈悲深い御方からの歓待として。」≫(Q41:30-32)

***

遺体の洗浄、カファン(死装束)の着用、礼拝
イスラームでは、特殊な方法で死者の体を洗浄しなくてはならない。その方法は以下の通り。

1. 死者の服を脱がす。
2. 洗浄を開始する際にアウラ(隠すべき体の部位)を覆う。死者のアウラを見てはならない。
3. 遺体の腹部を優しく揉みしごき、手を布で包み(局部を)洗浄する。
4. 遺体の洗浄においては、ニーヤ(意図)を表明しなくてもよい。
5. 遺体の歯と鼻孔を拭うことが推奨される。
6. 遺体にウドゥーを施すことが推奨される。その際のウドゥーは、排泄後に行うものと同じ。
7. 遺体を水とスィドルで洗う。
8. 遺体の全身を右側から洗う。
9. 洗浄の終わりには、樟脳を混ぜた水で洗浄する。
10. 洗浄は奇数回で終えることが推奨される。
11. ウラマーによって見解が分かれるが、遺体の爪と口ひげを切る。
12. 陰毛を剃ることは禁じられている。
13. 遺体をタオル等で拭い、乾かすことが推奨される。
14. 水がない場合は、タヤンムム(砂による浄め)にて遺体を浄める。
15. 女性の場合は髪を3本のお下げにして後方に垂らすことが推奨される。

***

カファンの着用
洗浄が終わったら、遺体をカファンで包む。スンナでは、男性は3枚の白い布で体を包む。一方女性は5枚の布で体を包む。具体的には、腰巻き、上半身を覆うベール、ブラウス、さらに2枚の全身を覆う布を指す。

***

死者を弔う礼拝
死者の家族や親族、知人、一般ムスリムが礼拝のために集う。この礼拝はジャナーザ礼拝と呼ばれ、通常の礼拝とは異なる。礼拝に拝跪はなく(立ったままで行い)、4回のタクビールからなる。
1. 1回目のタクビールの後、クルアーンの第1章を読む。
2. 2回目のタクビールの後、第2のタシャッフド(イブラーヒームの祈り)を唱える。
3. 3回目のタクビールの後、死者のために祈る。
4. 4回目のタクビールの後、生死を問わずムスリム全体のために祈る。

***

遺体の埋葬
イブン・バーズの説明によると以下の通り。直立した成人男性のへその高さほどの深さに墓穴を掘る。起き上がった際にキブラの方を向くよう(キブラに対して足を向けて)、右半身を下にして遺体を墓穴の中に置く。遺体を置く際には「アッラーの御名において、アッラーの使徒の宗教に従って」と唱える。その後レンガを組み立て、土が中に入らないように隙間を埋める。墓を土で覆い、地面から1シブルの高さまで土を盛る。墓の上から水をまき、砂利を敷く。墓の両端のレンガを置き、そこが墓であることがわかるようにする。



人間と3つの世 〜現世―バルザフ―来世〜 集成と分類
2. 死後の第2の世界

ムハンマド・シャウキー・アル=カッシャーウィー

バルザフと墓の様子

来世への旅は死をもって始まり、最終的には楽園か火獄へ行くことになる。墓は、楽園の庭園となるか、火獄の穴となる。

バルザフ
バルザフは、アッラー以外の何者もその実態を知らない超自然的なものであり、来世に関する謎の一つである。

バルザフの意味
バルザフという言葉は、言語学的には2つの物の間を隔てる物を意味する。墓の中で死者は自身がバルザフにいることを告げられ、現世と来世の間の段階に移行するのである。
イスラーム用語としてのバルザフは、現世と来世の間を隔てる期間のことを指す。この段階には現世や来世とは異なる特別な世界があり、死後すべての人間がここに至る。
バルザフ世界とは、人間が現世に戻ったり来世に移動することを妨げる障壁である。人間は死後、終末の日に墓から復活するまでバルザフに留まり続ける。天使が角笛が吹くことでこの段階は終了し、すべての被造物が最後の審判のために復活する。
クルアーンにおいては以下のように述べられている。

≪「きっと私は残してきたものにおいて善行をなすでしょう」。いや、それは彼が口にする言葉にすぎない。そして、彼らの後ろには彼らが甦らされる日まで、障壁がある。≫(Q23:100)

加えて、<預言者は以下のように述べている。「墓は死後の世界の第一段階であり、そこから逃れられればその後の世界はより楽なものとなるが、もし逃れられなければその後の世界はより厳しいものとなる」。>

クルアーン及びスンナによれば、バルザフにおいて死者に起こることは以下の通り。

2体の天使による質問
魂が死者の体から抜け、遺体が墓に埋葬されると、すぐに死者はバルザフに入る。この段階については数多くの真正ハディースで証明されている。
<アナス・ブン・マーリクによると預言者は以下のように述べた。「死者の埋葬が終わり、その友人らが墓から去っていく時、死者は彼らの靴音を聞く。すると2体の天使が現れ、死者を座らせて問う。『預言者ムハンマドについてどう考えたか?』これに対し信仰者は『ムハンマドはアッラーの僕であり預言者である』と答える。すると『アッラーがお前の火獄の座を楽園の座にとって代えてくださるのを見よ』と言われ、実際に2つの座を目にする。一方、偽善者と不信仰者も同様に『この男についてどう考えた?』と問われるが、それに対し『わからない。他の人々と同じ意見だった』と答える。すると、『お前は学ばなかったし、信仰者たちの後に続かなかった』と言われ、鉄鎚で殴打される。その時の叫び声は人間とジンを除いてすべての近くの被造物に聞こえる」。>

魂の昇天と体への回帰、2体の天使による質問
<預言者は教友達に墓での懲罰を免れるようアッラーにご加護を求めるよう命じ、以下のように述べた。「信仰者が現世を離れ来世に入る際は、まるで太陽のように真っ白な顔をした天使たちが楽園の魂用のカファンを持って下りてくる。天使たちは楽園の香水をつけ、肉眼で見えるギリギリの距離のところに座っている。そこへ死の天使が信仰者の頭部付近に座り『良き魂よ!アッラーのお赦しと満悦のもとに出てきなさい』と言う。すると魂はまるで水滴が落ちるようにいとも簡単に体から出てくる。死の天使がそれを掴むや否や、天使たちが瞬時に現れて魂を受け取り、楽園のカファンに包む。そこから地上で最も良い香りのするムスクの香りが漂う。その後天使たちは魂を持って昇天するが、通りかかる天使たちは皆『この素晴らしい魂は誰のものか?』と問わずにはいられない。魂を運ぶ天使たちは『これは誰それの魂です』と現世で呼ばれていた最も良い呼び名を答える。魂を7つ目の楽園まで運ぶと、力強く偉大なるアッラーは『私の僕の魂をイッリーユーンに記録せよ。そして私が人間を創り出した地上に魂を戻せ。彼らの体を地上の土に戻し、終末の時には起き上がらせよう』と仰せられる。すると2体の天使が墓にやって来て座り死者に問う。『お前の主は誰だ?』死者は『私の主はアッラーです』と答える。さらに天使たちが『お前の宗教は何だ?』と問うと死者は『私の宗教はイスラーム教です』と答える。次に『お前たちのもとに遣わされたこの男は誰だ?』と質問され、『彼は預言者ムハンマド様です』と答える。さらに『お前の知識は何に基づく?』と問うと『私は力強く偉大なるアッラーの本を読み、それを信仰し、それが真実であると信じました』と答える。するとある天使が楽園から叫ぶ。『私の僕は真実を話した。故に彼のために楽園から敷物を敷き、楽園の服を着せ、楽園への扉を開こう』。その後、喜びと芳香が広がる。>

さらに、
<預言者は続けた。「そこへ顔も身なりも美しい男がやって来る。死者が『あなたは誰ですか?このような美しいお顔でいらっしゃったということは、きっと良いことがあるのでしょう』と言うと、男は『喜びなさい。私はあなたの善行そのもの。約束されたこの日がやって来たのです』と言う。死者は力強く偉大なるアッラーに呼びかけ、『主よ、早く終末の時を!終末の時を!私を家族と財産のもとに戻してください』と言う。
一方、不信仰者が現世を離れ来世に行く際には、黒い顔の天使たちが火獄のヘチマでできた粗布を持って現れ、頭部付近に座る。そこへ死の天使がやって来て言う。『邪悪な魂よ!神の怒りのもとに出てこい』。すると魂は濡れた羊毛から串を抜き出すかのように体から出てくる。それを死の天使が掴むや否や、天使たちがその場に現れ魂を受け取り、火獄の粗布でそれを包む。それを持って天使たちが昇天する時には、地上で最も酷い死臭が漂う。この魂のためには天の扉は開かない。預言者は以下を読誦した。≪彼らには天の扉は開かず、ラクダが針穴を通るまで、彼らが楽園に入ることはない≫(Q7:40)力強く偉大なるアッラーは『私の僕の魂を地上の最底辺にあるスィッジーンに記録せよ』と仰せられる。そうして魂は再び地上に戻される。預言者は以下を読誦した。≪アッラーに共同者を配する者、それは天から転落し、鳥がさらった者のよう、あるいは風が遠く離れたところに吹き飛ばした者のようである≫(Q22:31)その後魂は墓にある遺体に戻され、そこに2体の天使が座って死者に問う。『おまえの主は誰だ?』『悲しいかな!わからぬ』『お前の宗教は何だ?』『悲しいかな!わからぬ』『お前たちのもとに遣わされたこの男は誰だ?』『悲しいかな!わからぬ』2体の天使たちは『お前は学ばなかったし、信仰者たちの後に続かなかった』と言う。するとある天使が楽園から叫ぶ。『この男は嘘をついた。故にこの男には火獄の敷物を敷き、火獄の服を着せ、火獄への扉を開こう』。そしてこの不信仰者には火獄の熱風が吹き付けられる。墓はどんどんと狭まり、あばら骨が砕かれるほどである。その後顔が真っ黒で死臭を放つ男が現れる。不信仰者は問う。『お前は誰だ?そんな醜い顔で来たということは悪い知らせに違いないな』。するとその男は答える。『私はお前の悪行そのもの。お前に約束された日がやって来たのだ』と。不信仰者は『主よ、終末の時が来ませんように』と言う。>

墓での安楽と苦痛は魂と体の両方が感じるか、魂のみか?!
墓での苦痛とは、魂と体の両方に起きるものか、あるいは体にだけか、はたまた魂にだけか?これに関してはウラマーによって見解が異なる。主な見解は以下の通り。
アル=ガザ―リーとイブン・フバイラによれば、バルザフにおける安楽と苦痛は魂にのみ起こる。したがって、死者の体がその苦痛や安楽を感じたり、それに影響を受けることは全くない。つまり、この現象は快楽や苦しみの感情の域を超えることはない。この見解をもつウラマーたちは、この状態を眠っている人に例える。人は睡眠中に不快な夢を見ると苦痛を感じるが、その時体には何の変化も生じていない。また、快楽に満ちた夢を見たときも同様である。
一方、大多数のスンナ派のウラマーたちの見解では、バルザフにおける苦痛と安楽は体と魂の両方に起こるとされる。したがって、体は苦痛を受け、それにより魂にも痛みが生じる。あるいは、体が快楽を感じれば、魂も幸福を感じる。つまり、現世で生きている人と同じように体は苦痛あるいは快楽を感じ、それに影響されるのである。
シャーフィイー派のウラマーであるアン=ナワウィーの見解では、この段階における快楽や苦痛は魂が戻った後の体に生じる。これは体の状態が完全であろうと不完全であろうと同じことであり、後者の場合は生前に体の一部を失った人や、火事や事故等の災害により体がバラバラになって死んでしまった人などが含まれる。
他方、イブン・ジャリール・アッ=タバリーによれば、この段階での苦痛や安楽は死者の体のみに起こる。なぜなら彼の見解では、魂は体に戻らないからである。死者の体は墓の苦痛や安楽の影響を受け、生きている時と同じようにそれを感じるが、これらは魂には処されない。

墓での苦痛と安楽を信仰する必要性
墓での苦痛と安楽の信仰は宗教的な義務であり、それが真実であることを信じなくてはならない。これは一連のハディースにより明らかにされている。

<バラーウ・ブン・アーズィブによると、以下の通り。我々は預言者と共にアンサールの男性の葬式に出かけた。我々が到着した時にはまだ墓穴は彫られていなかった。そこで預言者はそこに座り、我々も頭上に鳥が止まっているかのように(微動だにせず)彼の周りに座った。すると預言者は頭を上げ、周りの教友達を見て言った。「同胞たちよ!教友達よ!墓での懲罰を免れるようアッラーにご加護を求めよ!墓での懲罰を免れるようアッラーにご加護を求めよ!」預言者はこの言葉を2,3回繰り返した。手には土を耕す棒が握られていた。>

***

バルザフにおける時間
死者は時間の経過を感じないので、死者にとっての時間は速く過ぎていく。これは、彼らにとっての時間が現世の人々にとっての時間と異なるからである。クルアーンの中には、アッラーが100年間死なせた後に生き返らせた男が時間の経過に一切気づかず、それが一日か半日程度だと感じたという話がある。

≪あるいはまた、屋根まで潰れた町を通りがかった者のような者。彼は言った。「いかにアッラーはこれを死んだ後に生き返らせ給うのか」。すると、アッラーは彼を百年の間死なせ、それから生き返らせ給うた。彼は仰せられた。「どれほど留まったか」。彼は言った。「一日、または半日留まりました」。…≫(Q2:259)

また、ある者が預言者に終末の時について尋ねた際の答えとして、クルアーンには以下の文言がある。

≪その(かの時の)言及についておまえはどこにいるのか。おまえの主の御許にその(かの時の)結末(究極の知識)はある。おまえはそれ(かの時)を懼れる者への警告者に過ぎない。彼らがそれを見る日、あたかも彼らは一夕かその朝のほかは(現世に)留まらなかったかのようである。≫(Q79:43-46)

つまり、いと高きアッラーのみが終末の時がいつ来るのかをご存じなのである。そして人々が墓から復活する時、彼らは一夕(日の入りから宵まで)か朝(日の出から正午まで)ほどしか墓に留まらなかったかのように感じる。これらはすべて、死者の体感する時間が生きている人間の時間感覚では数えられないということを示している。



人間と3つの世 〜現世―バルザフ―来世〜 集成と分類
3. 第3の世界―来世

ムハンマド・シャウキー・アル=カッシャーウィー

復活と最後の審判の過程

終末の時
最後の審判は偉大な日であり、クルアーンの中にもその情景が述べられているが、それが実際にいつやって来るのかは明記されていない。その到来時期は力強く偉大なアッラーがすべての人間からお隠しになった知恵の一つである。これは、最後の審判がいつ来ても良いように、人間が日々善行に勤しむためである。
最後の審判の日は、クルアーンの中で以下のような名前で呼ばれることもある。アル=カーリア(大打撃)、アッ=ターンマ(破局)、アッ=サーハ(大音声)、最後の日などである。また、6信の中にも含まれる。

角笛が吹かれる
力強く偉大なるアッラーは、イスラ―フィールに命じて1度目の角笛を吹かせる。すると天が割れ、大地がバラバラになり、山々は崩れ落ち、星々は衝突し合い、宇宙の秩序は乱れ、生きとし生けるものは皆目の前の情景に驚愕し恐れおののく。その後、アッラーはイスラ―フィールに2度目の角笛を吹かせる。するとすべての生き物はその瞬間に死を迎える。アッラーは仰せられた。

≪そして、角笛が吹かれ、諸天にいる者も地にいる者も、アッラーが御望みの者を除いて気絶した。それからもう一吹き吹かれると、すると途端に、彼らは立って眺める。≫(Q39:68)

墓からの復活
墓からの復活は、この世界が終わり、すべての被創造物が死を迎えたときにやって来る。アッラーはイスラ―フィールに3度目の角笛を吹かせる。そしてアッラーは死者を墓から甦らせ、散乱した死者の体を集めて魂を体に戻す。

≪信仰を拒んだ者たちは、甦らされることはないと主張した。言え、「いや、わが主に誓って、必ずやおまえたちは甦らされ、それからおまえたちが行ったことについて告げ知らされるのである。そしてそれはアッラーには容易なことである」。≫(Q64:7)

招集の地

≪大地が大地でないものに、そして諸天も(諸天でないものに)替えられ、彼らが唯一なる支配者アッラーの許にまかり出る日。≫(Q14:48)

<預言者は「大地が他の大地に変わり、天もまた同様に変わる世の終りの日、人間はどこに留まるのですか」と質問された際、「彼らは、真暗闇の中で楽園に通ずる橋の近くに留まることだろう」と答えた。>

<サフル・ビン・サアドによると、預言者は言った。「人々は、復活の日、白パンの一塊のような、やや赤味のある白い大地に、なんの印も付けられてない状態で召集される」。>

招集
招集とは、被創造物(天使、人間、ジン、動物)が最後の審判のために集められることである。アッラーが平らな大地に被創造物を招集する日、人々は裸足で裸身の状態になるが、自分のことで手一杯で他人の裸身を見る余裕などない。この状態は長く続き、人々は全身汗だくになる。しかし力強く偉大なるアッラーは信仰者の負担を軽減し、状況を楽にしてくださる。

終末の日の長さ

≪そして、まことに、おまえの主の御許での一日はおまえたちが数える千年のようなものである。≫(Q22:47)

被創造物の状態
人々はアッラーの前に列をなし、すべての行いについて質問され、アッラーにより公正に判断を下される。中には書を右手で受け取る人もいれば、左手で受け取る人もいる。前者はアッラーに従順な信仰者であり、現世で行った善行を喜び誇りに思う。一方後者は不信仰者であり、現世での悪行を悲しみ立腹し、その悪行と書を見てしまったことを後悔する。

裁きと秤

≪そして、天を掲げ、秤を置き給うた。おまえたちが秤において法を越えないように。そして、目方は公正に計り、秤を損じてはならない。≫(Q55:7-9)

この段階において最後の審判が始まる。アッラーは現世での行いをすべて知っているのである。また、(嘘をつこうにも)人間の手、脚、聴覚、視覚、舌、その他すべての体の部分が真実を証言する。そしてアッラーは2つの皿が付いた秤を設置し、善行は一方の皿に、悪行はもう一方の皿に置かれ、その量によって報いが与えられる。善行が悪行を上回って己の秤(計算されるもの)が重かった者は救済されるが、悪行の方が上回って己の秤が軽かった者には破滅がもたらされる。

スィラート(道)

<預言者によると、「火獄の業火の上には一本の橋がかけられている。それはまるで鋭い剣の切先のようで、非常に滑りやすい。そこには火でできた鉤がたくさんあり、それで人々を捕らえては火獄へと転落させる。楽園に行く人々の中には、稲妻のような速さで通り抜け即座に救済される者もいれば、馬が疾駆する速さの者もいる。また、人間が早歩きする速さの者もいれば、歩く速さの者もいる。そして、最後にこの橋を渡る男は火に焼かれながら苦痛を味わうが、最後にはアッラーのご慈悲により楽園に入れられる」。>

<アブー・サイードによると、預言者は言った。「或る者らは安全に、或る者らは鉤でひっかけられながらも通り抜けるが、捕われて火獄の火中にひとまとめに落される者らもいる」。>

ハウド(楽園の溜め池)

<預言者は以下のように述べた。「私のハウドはアイラ(シリアの海岸町)と、アデン(イエメンの海辺の町)との間の距離よりも大きい。また、ここで使う容器は星の数よりも多い。そして、その水は牛乳よりも白く、蜂蜜よりも甘い...」>

ハウドは楽園のカウサル川から流れてくる水で満たされた素晴らしい場所であり、いと高きアッラーが信仰者たちが終末の日に体験した恐怖や疲れを癒すために預言者にお与えになったものである。
はじめにこの水を飲むのは預言者ムハンマドであり、その後彼のウンマが続く。しかし正しい道から外れた者たちは除外され、天使たちから追放される。預言者が彼らが追放された理由について尋ねると、天使たちに「汝は彼らが汝のなき後に何を行ったかを知らない」と言われる。そこで預言者は「私のなき後で宗教を変えた者を遠ざけたまえ」と言う。

***

終末の日における書(行状簿)の受け渡し
現世での行いを記した書が現れるタイミングに関しては諸説ある。
裁きの一番初めに書が与えられるという説もあれば、裁きの日の最後の光景だという説もある。
前者の根拠はクルアーンの以下の部分である。

≪それで己の書(行状簿)を右手に与えられた者(信仰者)については、いずれ彼はたやすい清算を受けるであろうし、≫(Q84:7-8)

この部分では、書を与えることが明記された後に、アラビア語のファーの文字があり、それから裁きについて述べられている。アラビア語のファーは物事の時間の前後関係や順序を表す前置詞であり、前の部分が後ろの部分よりも時間的に前に起きていることを表す。この点から、前者の正当性を説明することができる。

≪また全ての人間に。われらは各自の「鳥」(吉凶善悪の運命)をその首に付けた。そして、復活(審判)の日、われらは彼に書(生前の善行悪行の帳簿)を差し出し、彼はそれが開かれているのを見る。「読め、おまえの書を。今日、おまえ自身がおまえに対する清算者として万能である」。「導かれる者、彼は己自身のために導かれ、迷う者、彼は己自身い仇して迷うのである。荷を負う者は、他人の荷を負うことはない。そしてわれらは、使徒を遣わすまで懲罰を下すものではない」。≫(Q17:13-15)

つまり、書が手渡され、それを読むように命じられ、清算されるのである。これは、読み書きができない人も含めてすべての人間が行う。なぜならこの書は人々の現世での行いを証明するものだからである。そして書は飛散し、帳簿が開かれる。

≪そして(行状の)帳簿が開かれた時、≫(Q81:10)

右手か左手での書の受け取り
書の受け取り方は人によって異なる。右手で受け取る者は信仰者だが、背の後ろで左手で受け取る者は不信仰者である。

≪それで己の書(行状簿)を右手に与えられた者(信仰者)については、いずれ彼はたやすい清算を受けるであろうし、そして、自分の家族の許へ喜んで帰る(であろう)。一方、己の書を背の後ろで与えられた者(不信仰者)については、いずれ彼は死滅を呼び求めるであろうし、そして、烈火に焼べられる(であろう)。≫(Q84:7-12)

≪そこで、己の記録簿を右手に渡される者については、彼(その者)は言う。「さあ、あななたたち、私の帳簿を読んでくれ」。「まことに、私は己の清算に出会うと考えていた」。それで彼は満悦の生活にある。高い楽園の中で。その果実は手近にある。「喜んで食べ、飲むがよい。過ぎ去った日々におまえたちが前もってなしたことゆえに」。だが、己の記録簿を左手に渡される者については、彼(その者)は言う。「ああ、私の帳簿が私に渡されなければ良かったのに」、「そして、私の清算がどんなものかを知らなければ(良かったのに)」。「私の財産は私に役立たなかった」。「私から私の権威は消滅した」。(火獄の番人たちに対し言われる)「おまえたち、彼を捕らえ、彼を縛れ」。「それから、焦熱地獄に彼を焼べよ」。「それから、長さが七十腕尺の鎖の中に、彼を差し込め(繋げ)」。「まことに、彼は大いなるアッラーを信じていなかった」。≫(Q69:19-33)

そして、罪人たちは書の中に書かれていることを心配する。なぜならその書には全てのことが漏れなく書いてあるからである。

≪そして、書(生前の善行悪行の帳簿)が置かれ、罪人がその中にあるものを心配するのをおまえは見る。そして彼らは言う。「ああ、われらの災いよ。この書のなんとしたことか。小さなものも大きなものも取り残すことなく数え上げてある」。そして、彼らは彼らがなしたことうが現前するのを見出した。そしておまえの主は誰一人不当には扱い給わない。≫(Q18:49)

楽園の描写とその安楽
楽園は偉大な褒美の館であり、畏れ身を守る者たちや従順な民のために用意されたものである。そこには完全なる安楽がある。なぜなら楽園は最良の館であり、アッラーが信仰者のために用意されたものだからである。そこではアッラーのご尊顔を仰ぎ見ることが許される。アッラーはかつて、誰も見たこともなく、聞いたこともなく、また人の心が思いもつかなかったものを楽園に用意している。これはクルアーンに次の言葉で書かれている。

≪それで目の涼しさ(目の保養、喜ばすもの)で彼ら(のため)に隠され(取っておかれ)たもの(報酬)を誰も知らない。彼らがなしてきたことに対する報いのため。≫(Q32:17)

そしてこれは畏れ身を守る者たちへの吉報である。

≪まことに、畏れ身を守った者たちは安全な場所にいる。楽園と泉に。綿や緞子を纏い、向かい合っている。このようである。そして、われらは彼らを円らな瞳の天女に娶わせる。彼らはそこで、安全に、あらゆる果物を呼ぶ(求める)。≫(Q44:51-55)

また、楽園は喜びの館である。

≪「楽園に入れ、おまえたちもおまえたちの伴侶たちも歓待されよう」。彼らには金の大皿や杯が回され、そこには己が欲し、目が喜ぶものがある。そして、おまえたちはそこに永遠に留まる。そしてそれが、おまえたちがなしてきたことゆえにおまえたちが継がせられた楽園である。おまえたちにはそこには多くの果物があり、それからおまえたちは食べる。≫(Q43:70-73)

楽園の民には望み通りのものが与えられる
楽園では、人間が望んだことはすべてアッラーが叶えてくださる。むしろアッラーは人間が望んだ以上のものを与えてくださる。

≪彼らにはそこに彼らの望むものがあり、永遠に。そこはおまえの主に対して求められる約束である。≫(Q25:16)

また、
≪おまえたちにはそこにおまえたち自身が欲するものがあり、おまえたちにはそこにおまえたちが求めるものがある。≫(Q41:31)

イブン・カスィールのクルアーン解釈によると、≪彼らにはそこに彼らの望むものがあり≫という部分は、かつて誰も見たこともなく、聞いたこともなく、また人の心が思いもつかなかったような快楽、食べ物、飲み物、衣服、住居、乗り物、景色などが与えられるということを示している。
また、別の解釈書であるファトフ・アル=カディールによると、上記の部分は以下の通り。楽園においては彼らの欲するものは瞬時に容易に、自発的に、最良の形で与えられる。

楽園の名称
永遠の館、永住の館、安息所(マアワー)の楽園、エデンの楽園、悦楽(ナイーム)の楽園、平和の館、安全な場所とも呼ばれる。

楽園の広さ

≪その広がりは諸天と地ほどで、畏れ身を守る者たちに用意された。≫(Q3:133)

楽園の建造物について

<楽園の建造物は銀の煉瓦、金の煉瓦でできており、漆喰は香りの強いムスク、真珠とルビーの小石が敷き詰められ、土はサフランである。楽園に入れば、困窮することも、死ぬこともなく、破れた衣服を着ることも、また、若さを失うこともない。>

楽園の門について
楽園の門は8つある。

<預言者によると、「アッラー以外に神はなく、アッラーは唯一にして彼に比肩すべきものはない。ムハンマドはアッラーの僕にして使徒である。イエスもまたアッラーの僕、その僕女の息子であり、アッラーがマリアを介して伝達されたそのみ言葉、その精霊である。楽園は存在し火獄もまた存在する」と証言する者を、アッラーはそれぞれの望みのまま8つの門のどれからでも楽園にお入れになる。>

楽園の階級について
<預言者によると、「楽園には、アッラーが神の道に戦った人達のために備えた百の階段があり、その各々の隔たりは天と地の間の開きがある。だから、アッラーにお願いするときは、フィルダウスを求めなさい。これは楽園の中心の最も高い所で、その上に慈悲深い神の玉座があり、そこから楽園の川が流れ出ているのだから」。>

楽園の川について

≪そこには腐ることのない水の川、味の変わることのない乳の川、飲む者に快い酒の川、純粋な蜜の川がある。≫(Q47:15)

<預言者は「カウサル川とは何ですか?」と聞かれた際、以下のように答えた。「カウサル川はアッラーが楽園にて与えてくださったもので、その水は牛乳よりも白く、蜂蜜よりも甘く、そこには首が(食肉用の)ラクダのように大きな鳥がいる。」>

楽園の河川や果実については、クルアーンに以下の文言がある。

≪畏れ身を守る者たちに約束された楽園の譬えは、その下に河川が流れ、その食べ物は永久で、その陰もまた。これが畏れ身を守る者たちの結末である。一方、不信仰者たちの結末は獄火である。≫(Q13:35)

また、
≪畏れ身を守る者たちに約束された楽園の譬えは、そこには腐ることのない水の川、味の変わることのない乳の川、飲む者に快い酒の川、純粋な蜜の川がある。また、彼らにはそこにあらゆる果実と彼らの主からの御赦しがある。(畏れ身を守る者たちが)獄火の中に永遠に留まり、煮え湯を飲まされ、それが腸を寸断する者のようである(のか)。≫(Q47:15)

楽園の木について

<楽園には馬に乗った人が百年間もその蔭の下を走るほど大きい木がある。汝ら「長々と伸びた木蔭……」と唱えよ。>

楽園の木には常に果実がなり、それは低い位置にあり、手の届く所まで自ずと下りてくる。
また、
<アブー・フライラによると、預言者は言った。「楽園には幹が金でできた木以外の木は存在しない」。>

楽園の天幕について

<楽園では、信者一人ずつに、穴のあいた一個の真珠によって作られた天幕が与えられるが、その広さは60マイルほどである。信者はそれぞれ、その一角にほかの人に見られない妻たちをもっている。>

楽園の民について

<彼らは体毛がなく髭もなく、目の周りにはクフルをつけており、若さを失うことも破れた衣服を着ることもない。><楽園に最初に入る人々の顔は、満月の夜の月のように輝くであろう。彼らは放尿も排泄もすることなく、鼻風邪もひかず、唾を吐くこともない。彼らの櫛は金製であり、彼らの汗はじゃこうの香りを発する。彼らの火鉢の燃料はきゃらの香木である。>

楽園の女性たちについて

<もし楽園にいる女性たちの一人が地上の人々の前に現れたとしたら、天と地の間を照らすほど美しく、その間には芳香が満ちる。楽園の女性の頭にはベールがかけられているが、それはこの世に存在するどんなベールよりも美しい。>

楽園に最初に入る人
楽園に最初に入るのは預言者ムハンマドである。

<預言者は言った。「復活の日、私は楽園の門に行きそこを開けるよう頼むが、番人はその時『あなたは誰ですか』とたずね、私が『ムハンマドです』と答えると『私はあなたのため、あなたがおいでになるまで誰にも門を開けてはならないと命じられていました』ということだろう」。>

また、
<楽園に最初に入る人々の顔は、満月の夜の月のように輝くであろう。また、彼らにつづく人々の顔は、空に強くきらめく星の光のようであろう。彼らは放尿も排泄もすることなく、鼻風邪もひかず、唾を吐くこともない。彼らの櫛は金製であり、彼らの汗はじゃこうの香りを発する。彼らの火鉢の燃料はきゃらの香木である。彼らの妻たちは、円らな瞳の天女である。彼らの姿は、或る一人の人物、即ち、彼らの父、アダムとそっくりで、楽園では六十腕尺の背高である。>

楽園の民の力について

<預言者によると、楽園の民は100人の男に匹敵する食欲と精力を持ち、彼らの食べた物は、排泄せずとも消化され、麝香の香りの汗として体外に出る。また、腹は出ていない。>

楽園の召使い
楽園には永遠の少年たちがいる。

≪そして彼らの周りには永遠の少年たちが回る。おまえが彼らを見たなら、撒き散らされた真珠かと思ったであろう。≫(Q76:19)

少年たちはその年齢を超えることはなく、主人の望みを叶えるために散らばっている。

楽園の市場について

<預言者は言った。「楽園には、人々が、毎金曜日に集まる市場がある。そこでは、北風が吹いて、彼らの顔や衣服の上に芳香をまき散らし、彼らの魅力と美しきを増加させる。このような魅力や美を増した彼らが家族の許に戻ると、家族の者たちに『アッラーに誓って!あなたたちは、外出してから、一層、魅力的で美しくなりました』と言われるが、彼らはそれに対し『アッラーに誓って!留守の間にお前たちも魅力的で美しくなった』と言うことだろう」。>

アッラーのご尊顔を仰ぎ見ること
楽園の民にとって最も素晴らしいことは、アッラーのご尊顔を仰ぎ見ることである。

≪その日、(信仰者たちの)顔は輝き、(顔は)その主の方を仰ぎ見る。≫(Q75:22-23)

<預言者は言った。楽園の民が楽園に入る時、ある天使が叫ぶ。「楽園の民よ!アッラーがおまえたちとの約束を果たされたいと仰せである。」楽園の民は言う。「それはいったい何でしょうか。アッラーは私たちの善行を計る秤を重くし、私たちの顔を白くし、楽園へ入れ、火獄から遠ざけてくださったではありませんか?」するとベールが外され、彼らはアッラーのご尊顔を仰ぎ見る。アッラーはこれ以上の喜びを与えることはないだろう。>

また、アッラーは楽園の民に言われた。「おまえたちに喜びと満足を授けよう。私は今後おまえたちに立腹することは決してないだろう」。

≪まことに、畏れ身を守った者たちは安全な場所にいる。楽園と泉に。綿や緞子を纏い、向かい合っている。このようである。そして、われらは彼らを円らな瞳の天女に娶わせる。彼らはそこで、安全に、あらゆる果物を呼ぶ(求める)。彼らはそこで死を味わうことはなく、ただ、最初の死だけを(現世で味わった)。そして、彼(アッラー)は彼らを焦熱地獄の懲罰から守り給う。おまえの主からの御恵みとして。それは大いなる成就である。≫(Q44:51-57)

永遠
楽園の民はそこでは永遠である。

<預言者は言った。「まことに、あなたたちには永遠の健康が与えられ、決して病気になることはない。また、あなたたちは永遠に生きつづけ決して死ぬことはない。更に、あなたたちは若さを保ちつづけ、決して老いることはない。また更に、豊かな恩恵を授けられ、決して困窮することはない」。>

これに関し、クルアーンに以下の文言がある。

≪彼らは呼びかけられた。「それがおまえたちがなしたもののゆえにおまえたちが継がされた楽園である」。≫(Q7:43)

顔の輝き
楽園の民の顔には至福の輝きがあり、彼らは封印された清酒を注がれる。彼らは白くて湿度のある真珠の天幕の中で、ルビーでできた高座に腰掛けている。天幕の中には装飾された緑の絨毯が敷かれている。また、楽園の民は酒と蜜の河川の端に設置されたソファにもたれている。河川の周りには少年たちが控えている。

天女たちの描写
楽園は天女たちにより飾られている。彼女たちはまるでルビーや珊瑚のように美しく、人もジンもまだ触れたことがない。彼女たちは楽園の階段を歩く。彼女たちの1人が気高く自慢げに歩けば、その裾を7万の少年たちが持ち上げる。そして、あっと驚くような美しい白い絹を纏っている。真珠や珊瑚がはめ込まれた冠をかぶり、艶めかしく振舞う。また彼女たちからは芳香が漂い、老いたり苦しんだりすることはない。楽園の中の庭園の中央に建てられたルビーの城の中の天幕の中に常におり、伏し目がちである。現世での行いの褒美として、そこでは白い美酒の入った杯や水差しが回され、隠された真珠のような美少年たちが給仕する。

楽園の住居について

<アブー・マーリク・アル=アシュアリーによると、預言者ムハンマドは言った。「楽園には、外から中が、中から外が見える部屋がある。アッラーはその部屋を貧者に食べ物を与えた人、言葉使いが綺麗だった人、断食をきちんとこなしていた人、人々が寝ている間も祈っていた人のために用意された」。>

また、
<預言者は言った。「楽園では、信者一人ずつに、穴のあいた一個の真珠によって作られた天幕が与えられるが、その広さは60マイルほどである。信者はそれぞれ、その一角にほかの人に見られない妻たちをもっている」。>

楽園の民の永遠と恒久的な安寧、健康、美

<アナス・ビン・マーリクによると、預言者は言った。「楽園には、人々が、毎金曜日に集まる市場がある。そこでは、北風が吹いて、彼らの顔や衣服の上に芳香をまき散らし、彼らの魅力と美しきを増加させる。このような魅力や美を増した彼らが家族の許に戻ると、家族の者たちに『アッラーに誓って!あなたたちは、外出してから、一層、魅力的で美しくなりました』と言われるが、彼らはそれに対し『アッラーに誓って!留守の間にお前たちも魅力的で美しくなった』と言うことだろう」。>

また、
<預言者は言った。「まことに、あなたたちには永遠の健康が与えられ、決して病気になることはない。また、あなたたちは永遠に生きつづけ決して死ぬことはない。更に、あなたたちは若さを保ちつづけ、決して老いることはない。また更に、豊かな恩恵を授けられ、決して困窮することはない」。>

これに関し、クルアーンに以下の言葉がある。

≪彼らは呼びかけられた。「それがおまえたちがなしたもののゆえにおまえたちが継がされた楽園である」。≫(Q7:43)

また、
<預言者は言った。「楽園に最初に入る人々の顔は、満月の夜の月のように輝くであろう。また、彼らにつづく人々の顔は、空に強くきらめく星の光のようであろう。彼らは放尿も排泄もすることなく、鼻風邪もひかず、唾を吐くこともない。彼らの櫛は金製であり、彼らの汗はじゃこうの香りを発する。彼らの火鉢の燃料はきゃらの香木である。彼らの妻たちは、円らな瞳の天女である。彼らの姿は、或る一人の人物、即ち、彼らの父、アダムとそっくりで、楽園では六十腕尺の背高である」。>

また、
<アル=バザール、アッ=タバラーニー、アル=バイハキーがジャービルから聞いたところによると、預言者は「預言者様、楽園の民は眠るのでしょうか?」と聞かれたところ「否。睡眠は死の兄弟である。楽園の民は死なないし、眠りもしない。」と答えた。>(伝承経路はサヒーフ)。

火獄
最後の審判が終わり、左手で書を受け取った者は、スィラートを渡る際に火獄へと転落する。クルアーンやスンナには、火獄の名称やその描写、そこの住民、またそこでの懲罰の種類などについての記述がある。それに関する説明は以下の通り。

火獄の名称

1. ナール

≪「われらが主よ、あなたは、あなたが獄火に入れ給う者を確かに辱め給うた。そして、不正な者たちには援助者たちなどいません」。≫(Q3:192)

2. ジャハンナム

≪「そして、まことに、火獄(ジャハンナム)こそ彼ら(イブリースに従った者)すべての約束の地である。」≫(Q15:43)

3. ラザー

≪断じて。まことに、それは炎熱(火獄)である、頭皮を剥ぎ取るものである(炎熱である)、≫(Q70:15-16)

4. サカル

≪いずれ、われは彼を猛火に焼べるであろう。そして猛火とは何かを何がおまえに知らせるか。それは残さず、捨て置かない。≫(Q74:26-28)

5. フタマ

≪断じて(財によって不滅になることはなく)、彼は必ずや破砕機に投げ込まれる。破砕機とは何であるのかを、何がおまえに分からせたか。(それは)焚きつけられたアッラーの火、≫(Q104:4-6)

6. ジャヒーム

≪そして、楽園は畏れ身を守る者たちに近寄せられた。また、焦熱地獄は誤った者たちに顕わにされた。≫(Q26:90-91)

7. サイール

≪一団は楽園に、一団は烈火の中に。≫(Q42:7)

8. ハーウィヤ

≪一方、己の秤(計量されるもの)が(悪行が勝って)軽かった者については、彼の母(頼って身を寄せる場)は奈落である。そしてそれ(奈落)が何であるのかを、何がおまえに分からせたか。(それは)灼熱の火である。≫(Q101:8-11)

<アブドゥッラー・ブン・マスウードによると、アッラーのために殺されたものは、すべての罪を赦してもらえる。アマーナ(人から信頼され預かったもの)を持ち主にきちんと返さなかったという罪を除いては。たとえアッラーのために殺されたとしても、そのような者のところへは火獄の天使がやって来て言う。「おまえが預かったものを出せ。」その者は答える。「主よ、どうすればよいのでしょうか?現世はとっくに終わってしまいましたのに。」すると天使は言う。「ハーウィヤへ行け。」そしてその者がハーウィヤに行くと、彼が生前人から預かっていたが持ち主に返さなかったものが、それを受け取った時と全く同じ形で目の前に現れる。そしてそれを追いかけて奈落の底まで転落し、それを掴んで肩に担ぐ。そうして火獄を上り、火獄から出ようとするも、その瞬間に滑り落ち、忽ち奈落の底へと転落するのである。このように、永遠にアマーナを追いかけながら同じことを繰り返すのである。>

火獄の描写

1. その広さ

<アナスによると、預言者は言った。罪人が投げ込まれる火獄は絶えず「まだ大勢いるのですか?」と尋ねる。すると主は火獄に片足を入れ、火獄の広さを狭めたので、火獄は「あなたの強さと名誉にかけて、もう十分です、もう十分です」と叫ぶ。>

≪われらが獄火に、「おまえは満たされたか」と言い、それが、「追加がありますか」と言う日を(想起せよ)。≫(Q50:30)

また、
<ムジャーヒドによると、イブン・アッバースは言った。「火獄の広さを知っていますか?」私は「いいえ」と答えた。すると彼は「アッラーにかけて私もわからない。アーイシャが私に話したところによると、アーイシャが預言者にクルアーンの ≪大地はそっくり彼の一握りであり、諸天もその右手によって巻き上げられよう。≫(Q39:67)の部分について尋ねた。『預言者様、その日、人々はどこにいるのでしょうか?』すると預言者は『火獄の橋の上だ』と答えた」。>

2. 火獄の底

<アブー・フライラによると、預言者は言った。「これは70年も前に火獄に投げこまれた石の音だ。それがずっと火獄の中を落ちつづけ、今やっと火獄の底に着いたのだ」。>

3. 火獄の階層
楽園にも階層や住居があるように、火獄にも犯した罪や現世での行いによって異なる階層が存在する。

≪まことに偽信者たちは獄火の最下の底にあり、彼らにおまえは援助者を見出せはしない。≫(Q4:145)

なぜなら、獄火の最下の底にいる偽信者たちは信仰者たちに害を与え、信仰を拒み、人を貶めようとしたからである。

4. 火獄の熱
現世において、人は熱から守られている。というのは、アッラーが人間を熱から守るために陰をお与えになったからである。また、アッラーは喉の渇きを潤す水や厳しい熱さを和らげる心地よい風も授けられた。
一方、火獄では上記のようなものはすべて苦痛へと転じる。風は熱風に、蔭は黒煙に、水は熱湯になるのである。また、火獄の火は我々の知る現世の火とは異なり、格段に熱いものである。また、現世にある火というのは火獄にある火のほんの一部に過ぎない。

<預言者ムハンマドは「あなた方が使う火の量は、火獄の全業火の70分の1程度の火に過ぎない」と言った。それに対して人々が「アッラーに誓って!預言者様、通常用いる火としてはそれだけで十分ではありませんか」と言うと、預言者は「69の余分な火は全て同じ熱さであるが、別に残されている」と言った。>(アル=ブハーリー及びムスリム)

5. 火獄の陰

≪「三つの枝のある陰に赴け」。「(遮る)翳がなく、炎に対して役立たない(陰に赴け)」。≫(Q77:30-31)

≪そして、黒煙の陰の(中に)。(陰は)涼しくなく、心地よくもない。≫(Q56:43-44)

6. 火獄の風

≪そして左手の徒、左手の徒とは何か(何と悪いことよ)。熱風と熱湯の中にいる。≫(Q56:41-42)

彼らの息は耐え難いような熱風である。

7. 火獄の水
火獄の民は腸を寸断するような煮え湯を飲まされる。また、陰は息の詰まる黒煙が覆い、休息や安楽を目にすることはない。

8. 火獄の燃料

≪それでもしおまえたちにできなければ ―おまえたちにできはしない―、人間たちと石を燃料とする獄火を畏れ身を守れ。それは不信仰者たちに用意された。≫(Q2:24)

<アブドゥッラー・ブン・マスウードによると、クルアーンの≪人間たちと石を燃料とする≫と言う部分について預言者は言った。「石とは、アッラーがお望みの通りおつくりになった燃えている石のことだ」。>

9. 火獄の火花

≪まことに、それ(火獄、あるいは炎)は城のような火花を放ち、≫(Q77:32)

10. 火獄の声

≪それ(烈火)が彼らを遠い場所から目にする時、彼らはその憤怒と咆哮を聞いた。≫(Q25:12)

≪彼らがそこ(火獄)に投げ込まれた時、彼らは、煮えたぎるその咆哮を聞いた。≫(Q67:7)

11. 火獄の門番

≪その上には獰猛で過酷な天使たちがいる。彼らはアッラーに、(つまり)彼が彼らに命じ給うたことに背かず、命じられたことを行う。≫(Q66:6)

12. 火獄の門

≪それには七つの扉があり、それぞれの扉には彼らのうち割り当てられた一部がいる。≫(Q15:44)

火獄の場所
火獄は天にある。

<ハズィーファ・ブン・アル=ヤマーンによると、預言者は言った。「私はブラークに乗ってやって来た。それは白色で胴体が長く、そのひづめを視界の広さまで伸ばすことのできる動物であった。私とジブリールはそれに跨がり、エルサレムの聖寺院(バイトル・マクデス)に着くまでその背から離れなかった。そこで天の扉が開き、私は楽園と火獄を見た」。>

火獄の到来とその巨大さ

≪そしてその日、火獄が連れて来られ、その日、人間は思い出すが、思い出すことが彼にとって何になろうか。≫(Q89:23)

<イブンマスウードによると、預言者は言った。「その日(審判の日)には、火獄が7万の手綱をつけられ、運びこまれる。それら全ての手綱は7万の天使たちによって引かれる」。>

また、
<アブー・サイード・フドリーによると、預言者は言った。「やがて、『それぞれの民は、かつて崇めていたものの方へ行くように』と喚びかけられると、十字架を崇めていた人々は十字架の方へ行き、偶像を崇めていた人々は偶像の方へ行き、また神々を崇めていた人々は神々の方へ行き、こうしてその後には、罪を犯すにせよ、犯さないにせよ、アッラーを崇めていた人々と、ごく少数の啓典の民だけが残るであろう。さて、人々が火獄の方へ連れて行かれると、これは蜃気楼のように彼らの前に現れる」。>

その日(審判の日)の人々の様子

≪そしておまえはそれぞれの共同体が蹲った群れとなり、それぞれの共同体がその記録簿の方に呼び招かれるのを見るであろう。「今日、おまえたちは、おまえたちのなしたことを報いられる」。≫(Q45:28)

≪それゆえおまえの主に誓って、必ずやわれらは彼らと悪魔を追い集め、それから必ずやわれらは彼らの膝をついたまま火獄の周囲に立ち会わせよう。≫(Q19:68)

<カアブによると、預言者はウマル・ブン・ハッターブに次のように言った。「審判の日、火獄では咆哮がし、アッラーに近い天使から預言者まですべてが一斉に跪く。イブラーヒームでさえも、『主よ!私を、私を!』と叫ぶ。たとえあなたが自分の善行に加えて預言者70人分の善行をしたとしても、火獄から逃れられないのではないかと恐れるだろう」。>

罪人が火獄に入る方法

1. 強い追い立て

≪その日、彼らは火獄の火の中に追い立てで押し込まれる。≫(Q52:13)

<アブー・サイード・フドリーによると、預言者は言った。「彼らは火獄へ向けて押し込められ、まるで互いにぶつかり合う蜃気楼のように火獄へと落ちていく。」>(サヒーフ・アル=ジャーミウ)

2. 火獄への引きずり

≪彼らが獄火の中を顔の上で(顔を下にして)引きずられる日、「猛火(火獄)の感触を味わえ」。≫(Q54:48)

これに関するハディースは以下の通りである。

<預言者は言った。「…彼らを火獄に入れるために天使たちが遣わされる。そこで素直に火獄に入ろうとした者は救われ涼しさと安全を得られる。一方、火獄に入ろうとしなかった者は火獄に引きずり込まれる。」>(サヒーフ・アル=ジャーミウ)

火獄での罪人の状態と懲罰

1. 火獄で最も罰の軽い人々

<ヌアマーン・ブン・バシールによると、預言者は言った。「火獄の民のうち、最も罰の軽い者は火のついた二本のひもを着けた(二つの)靴をはかされる。このため、彼の頭脳は料理なべがわき立つように沸騰することだろう。その時彼は、自分以上にひどい罰を受ける者は誰もいないと思うだろうが、実際には、彼は最も軽い罰を課せられているのである」。>

2. 火獄での懲罰の違い
<サムラ・ビン・ジュンダブは伝えている。預言者は言った。「彼らの中には、火で両足くびまで焼かれる者、膝まで焼かれる者、腰のあたりまで焼かれる者、鎖骨まで焼かれる者がいる」。>

3. 火獄の民の顔
火獄の民の顔は、黒い影と屈辱と卑しさに覆われている。

≪だが、悪事を稼いだ者たち、悪事の報いはそれと同じものによる。彼らは屈辱が捉え、彼らにはアッラーから守るものなどいない。それはちょうど彼らの顔が闇夜の断片に覆われたようである。≫(Q10:27)

4. 火獄の民の大きさ
アッラーは火獄の民の容貌を懲罰に適した形に変える。

<アブー・フライラによると、預言者は言った。「不信仰者の両肩の間は、馬で走って3日分の距離がある」。>(サヒーフ・アル=ブハーリー)

5. 火獄の民の皮膚
火獄の人々の皮膚は、痛みをより強く感じるように分厚くできている。また、彼らの皮膚は焼きあがる度に新しい皮膚に交換される。

≪まことにわれらの諸々の徴を拒む者たちは、いずれわれらが獄火に焼べよう。彼らの皮膚が焼きあがる度、彼らが懲罰を味わうべく、われらは彼らに別の皮膚を付け替える。まことにアッラーは威力比類なく英明なる御方であらせられた。≫(Q4:56)

<アブー・フライラによると、預言者は言った。「不信仰者の皮膚の厚みは腕42本分の長さがあり、その臼歯はウフド山のようである。また、彼らの休息所はメッカからマディーナ間の距離ほどの長さがある」。>(サヒーフ・アッ=ティルミズィー)。

ちなみにウフド山の高さは1077メートルであり、メッカからマディーナまでの距離は約450キロメートルある。

6. 火獄の民の衣類

≪それで信仰を拒んだ者たち、彼らには火の服が裁断され、≫(Q22:19)

≪彼らの衣類はタールからなり、≫(Q14:50)

<アブー・マーリク・アル=アシュアリーによると、預言者は言った。「もしその泣き女が彼女の死の前に後悔しなかったなら、彼女はタールの衣服と疥癬のシュミーズを着せられて、復活の日に立たせられるであろう」。>(サヒーフ・ムスリム)

7. 火獄の民の食べ物と飲み物
火獄での飲食物はその階層によって異なるが、共通しているのはその不味さ、耐えられないほどの熱さ、強い苦み、死臭と腐敗した血や膿などである。以下でそれぞれ説明する。

・ザックーム

≪まことに、ザックームの木は、罪深い者の食べ物である。溶鉱のようで、腹の中で煮え立つ。熱湯の沸騰のように。≫(Q44:43-46)

<イブン・アッバースによると、預言者は≪信仰する者たちよ、真の畏怖をもってアッラーを畏れ身を守れ。そして、帰依者(ムスリム)としてでなければ死んではならない。≫(Q3:102)と読誦し、以下のように述べた。「ザックームの汁が一滴でも地上に落ちたなら、たちまち現世の人々の生活は損なわれてしまう。ましてそれ以外に食べるものがない人々はどうであろうか?」>(サヒーフ・ティルミズィー)

・ダリーウ(苦い茨)

≪彼らには苦い茨のほかに食べ物はなく、(茨は)太らすことも、空腹を癒すこともない。≫(Q88:6-7)

ダリーウとは、大きな棘のある植物で、水分があればオノニスのようだが、それが乾いたもので毒がある。

・ギスリーン(膿)

≪「また膿のほかに食事はない」。「それを食べるのは過ちを犯した者たちだけである」。≫(Q69:36-37)

アル=ブハーリーによると、ギスリーンとは、洗った時に傷口や尻から流れ出るもの(膿や血)のことである。

・ハミーム(熱湯)

≪煮え湯を飲まされ、それが腸を寸断する者のようである(のか)。≫(Q47:15)

ハミームとは、熱さが激しくなったものである。また、
≪そして、彼らは、助けを求めると溶鉱のような水を注がれ、それが彼らの顔を焼く。なんと酷い飲み物であることよ、また休息所としてなんと悪いものであることよ。≫(Q18:29)

<イブン・アッバースによると、≪溶鉱のような≫の部分は溶鉱のような黒い油のことである。>(サヒーフ・アル=ブハーリー)

・ガッサーク(膿)

≪これ(懲罰)は ―それゆえ、彼らはそれを味わえ― 熱湯と膿である。さらにそれに類する別のもの(懲罰)幾種類もである。≫(Q38:57-58)

ガッサークとは、火獄の民の皮膚から流れ出る膿で、悪臭を放つ冷たい液体だと言われている。

8. 火獄の民の枷
火獄の民は常に懲罰を受け続ける。アッラーは彼らの首に首枷と鎖をつけ、それで彼らを引きずる。彼らの苦痛は増すばかりである。彼らは鎖でつながれているのである。

・首枷

≪そして懲罰を見た時、彼らは後悔を(心中に)秘めた。そして、われらは信仰を拒んだ者たちの首に枷をなした。彼らは、彼らのなしてきたもの以外によって報いられることがあろうか。≫(Q34:33)

≪まことに、われらは彼らの首に枷をなし、それは顎まであり、そのため彼ら(の頭)は上向きになっている。≫(Q36:8)

アル=ブハーリーによると、枷は首にのみつけられるという。

・鎖
鎖は手足につけられる。

≪その時、枷が彼らの首にはあり、鎖もまた。彼らは引きずられる。≫(Q40:71)

9. いかに炎から逃れるか
現世の人々は、打撃などを受ける際に手や足で身を守る。一方、火獄では人々は手足を縛られているので、責苦を己の顔で防ぐしかない。

≪復活(審判)の日、懲罰の悪(責苦)を己の顔で防ぐ(受ける)ことになる者が(より良い)か。不正な者たちには言われる。「おまえたちが稼いできたものを味わえ」。≫(Q39:24)

10. 火獄の民の寝床と掛け布

≪彼らには火獄(ジャハンナム)の寝床があり、彼らの上にはいくつもの(火の)覆いがある。こうしてわれらは不正な者に報いる。≫(Q7:41)

11. 火獄の民の牢獄

≪そしてそこの窮屈な場所に括られたまま投げ込まれた時、彼らはそこで破滅を祈り求めた。≫(Q25:13)

<アブー・フライラによると、預言者は「あなた方のうちの誰でも、同朋に対して武器を構えるような身振りをしてはならぬ。シャイターンが彼の手から武器を奪うかもしれず、その結果、火獄の穴に放り込まれることになるから」と言った。>

12. 火獄の民の疲労

≪いずれわれは彼に険しい坂道を課そう。≫(Q74:17)

13. 火獄の民の罵り合い
火獄の住民は互いに罵り合い、呪い合う。

≪一つの共同体が入るたびに彼らはその仲間の集団を呪った。そしてついに彼らがそっくりその(獄火の)中で追いつくと、最後の一団は最初の一団に言った。「われらの主よ、これらの者がわれらを迷わせました。彼らに獄火の懲罰を倍にして与え給え」。≫(Q7:38)

≪それから復活(審判)の日、あなたがたは互いに否認し合い、互いに呪い合う。そして、あなたがたの住まいは獄火であり、あなたがたには援助者たちなどいない。≫(Q29:25)

14. 火獄の民の息

<アブー・フライラによると、預言者は言った。「もしこの礼拝所に10万以上の人がいたとして、その中に火獄の民が1人いたなら、彼の一息を浴びただけで礼拝所とその中にいる人は皆焼けてしまうだろう」。>

15. 蛇と蠍

<アブドゥッラー・ブン・アル=ハーリス・ブン・ジュズウ・アル=ズバイディーによると、預言者は言った。「火獄には蛇がいる。その蛇の首はラクダのように大きく、一度その蛇に嚙まれれば40年は跡が消えない。また、火獄には蠍もいる。その蠍は鞍をつけたラバほどの大きさで、一度噛まれれば40年は跡が消えない。」>(サヒーフ・アッ=タルギーブ及アッ=タルヒーブ)

16. 虫

<イブン・マスウードによると、預言者は言った。「火獄には蜂を除いたすべての蠅がいる」。>(サヒーフ・アル=ジャーミウ)

17. 地を這う害虫による疥癬の発症

<ヤズィード・ブン・シャジャラによると、預言者は言った。「火獄には井戸のような穴があり、そのそれぞれに海岸がある。そこには地を這う害虫やラクダのような蛇、さらに真っ黒なラバのような蠍がいる。もし火獄の民が懲罰の軽減を求めれば、『海岸へ出よ』と言われる。するとそれらの害虫が彼らの唇や脇腹に張り付き、なんとその表面を剥ぎ取ってしまうのである。故に火獄の民は穴の中へと再び戻り、真っ先に炎の中へ向かう。彼らは疥癬を発症し、骨が露わになるまで皮膚を掻き毟る者もいる。『某よ!苦しいか?』と言われるので『はい』と答える。すると『これがおまえが信仰者たちに与えてきた苦痛だ!』と言われる」。>(サヒーフ・アッ=タルギーブ及びアッ=タルヒーブ)

18. 鉄の棒による殴打

≪そして彼らには鉄の棒がある。≫(Q22:21)

<ウマルはかつて言っていた。「火獄に関するズィクルを増やしなさい。なぜならその熱さは激しく、底は遠く、その棒は鉄でできているから。」>(サヒーフ・アッ=ティルミズィー)鉄の棒とは、鉄鎚や鉄の鞭のようなものである。

19. 腹から出る腸

<ウサーマ・ビン・ザーイドは預言者が以下のように言うのを聞いた。「復活の日、或る男が連れ出され業火の中に落とされる。そして、自らの腸をひきずりながら、丁度、ロバが、石臼のまわりを回るように、火獄を回ることになる。その時、火獄の民らが彼の傍に集まり、『某よ、どうしたのか、お前は私たちに善を行なえと命じ、悪を禁じたのではなかったのか』と言うと、その男は『その通りです。私は人々にいつも善を行なうよう命じたが、私自身ではそれを行なわなかったのです。人々には悪を禁じたが、私自身がそれを行なったのです』と答えることだろう」。>(サヒーフ・アル=ブハーリー及びムスリム)

20. 懲罰のいくつかの種類

<アブー・フライラによると、預言者は言った。「刀で己の命を絶つ者は、火獄の火の中でその刀を持ち、いつまでも死ぬことなく、それで腹を打ち続ける。毒を飲んで死ぬ者は、火獄の火の中でその毒を手に持ち、いつまでも死ぬことなく、それを飲み続ける。山から身を投げて死ぬ者は、火獄の火に放り込まれ、いつまでも死ぬことなく底へ底へと落ち続ける」。>

21. 懲罰の多様性

≪これ(懲罰)は ―それゆえ、彼らはそれを味わえ― 熱湯と膿である。さらにそれに類する別のもの(懲罰)幾種類もである。≫(Q38:57-58)

22. 恥辱

≪一方、信仰を拒み、われらの諸々の徴を嘘として否定した者たち、それらの者、彼らには恥辱の懲罰がある。≫(Q22:57)

23. 泣くこと

≪それゆえ、彼らには少し笑わせ、多く泣かせよ。彼らが稼いだものの報いとして。≫(Q9:82)

<アブー・ムーサ―・アル=アシュアリーによると、預言者は言った。「火獄の民はその涙で船が進むほど泣き続ける。しかも彼らの涙は血の涙である。」>(サヒーフ・アル=ジャーミウ)

24. 絶え間なく続き軽減されない懲罰

≪一方、信仰を拒んだ者たち、彼らには火獄(ジャハンナム)の火がある。彼らに対して(再度の死の)断が下されて彼らが死ぬこともなければ、その懲罰を軽減されることもない。このようにわれらはすべての忘恩の不信仰者に報いる。≫(Q35:36)

≪彼にはあらゆる場から死が迫るが、彼は死ぬ者ではない。そして、彼の背後には過酷な懲罰がある。≫(Q14:17)

25. 増える懲罰

≪それゆえ、おまえたちは味わえ。われらはおまえたちには懲罰よりほかに増し加えはしない。≫(Q78:30)

26. 叫び声

≪そして彼らはそこで助けを求めて叫ぶ。「われらが主よ、われらを(救い)出したまえ。われらは、われらがなしていたことではない善行をなしましょう」。≫(Q35:37)

27. 救済を求める火獄の民たち

≪そして、彼らは、助けを求めると溶鉱のような水を注がれ、それが彼らの顔を焼く。なんと酷い飲み物であることよ。≫(Q18:29)

<アブドゥッラー・ブン・アムルによると、預言者は言った。「火獄の民はマーリク(獄火の番人の天使の名)に求めた。≪「マーリクよ、あなたの主がわれらに対して(生殺しでなく死滅の)決着をつけ給いますように」。≫(Q43:77)するとその40年後にやっと返事があった。≪「おまえたちは滞留するのである」。≫(Q43:77)と。そして彼らはアッラーにも叫んだ。≪「われらが主よ、われらの上にはわれらの不幸が伸しかかり、われらは迷った民でした」。「われらが主よ、ここからわれらを出し給え。もし(迷誤に)戻ることがあれば、その時こそわれらは不正な者でしょう」。≫(Q23:106-107)するとアッラーは現世のようには答えず仰せられた。≪「その(獄火の)中に追い払われよ。われに語りかけるな」。≫(Q23:108)そのため彼らは絶望し、まるでロバの鳴き声ような喘ぎ声が聞こえるのみである」。>(サヒーフ・アッ=タルギーブ及びアッ=タルヒーブ)

28. 火獄の不信仰者らの願い
不信仰者は終末の日、現世で土、つまり動物であればよかったのにと願う。なぜなら動物たちは最後の審判の後土に戻るようアッラーに命じられるからである。

≪まことにわれらはおまえたちに近い懲罰を警告した。人が己の手が以前になしたことを見、そして、不信仰者が「ああ、わが身が土くれであればよかったものを」と言う日における(懲罰を)。≫(Q78:40)

29. 贖いの試み
火獄の住人は、懲罰のあまりの恐怖から何としてでも罪を贖いたいと願う。

≪まことに信仰を拒み、不信仰者として死んだ者たちは、彼らの誰一人として、大地一杯の金でたとえわが身を贖おうとしても、受け入れられない。それらの者、彼らには痛苦の懲罰があり、彼らには助け手たちはいない。≫(Q3:91)

≪信仰を拒む者たちは、たとえ彼らに地にあるものすべてと、さらにそれと同じものがあって、復活(審判)の日の懲罰からそれで身を贖おうとしても、それは彼らから受け入れられない。そして、彼らには痛苦の懲罰がある。≫(Q5:36)

火獄の底では痛苦の懲罰と拷問があるのみであり、援助者も救済者も協力者もいない。しかし彼らは自分たちの背骨からなる子供たちを犠牲にしてまでも身を贖おうとする。

≪彼らは彼らを見せられている(というのに)。罪人は己の子供たちによってその日の懲罰から身を贖えるならば、と願う。また、己の伴侶や兄弟や、また己を庇護した一族によって(贖えるならばと願う)。さらに、地上のすべての者によって、そうしてそれが己を救うことになるならば、と。断じて。まことに、それは炎熱(火獄)である、頭皮を剥ぎ取るものである(炎熱である)、≫(Q70:11-16)

30. 後悔と懺悔

≪また、懲罰を目にした時、彼らは密かに悔いた。だが、彼らの間は公正に裁定され、彼らは不正を受けることはない。≫(Q10:54)

彼らを誘惑した悪魔が身の潔白を主張することで、彼らはますます後悔することになる。

≪そして、事が決まった時、悪魔は言った。「まことにアッラーはおまえたちに真実の約束を約束し給い、私もおまえたちに約束したが、私はおまえたちを裏切った。そして私にはおまえたちに対してなんの権能もなかった。ただ、私がおまえたちに呼びかけたところ、おまえたちが私に応えただけである。それゆえ、私を責めずに、おまえたち自身を責めよ。私はおまえたちが私を(アッラーと)同位に配することを既に以前に拒絶していた」。まことに、不正な者たち、彼らには痛苦の懲罰がある。≫(Q14:22)

そうして彼らは後悔のあまり叫び、自らの犯した罪と理性の無さを認める。

≪そうして彼らは己の罪を認めた。それゆえ、烈火の輩は(アッラーの慈悲から)遠ざけられよ。≫(Q67:11)

上記を通して、イスラームの観点から見た3つの世について説明した。これらはすべてクルアーンとハディースで言及されていることである。死後の2つの世界に移る前に、我々が今この瞬間に生きている第一の段階についてより深く考え、意識するようになることを願ってやまない。

神のご加護があらんことを
ムハンマド・シャウキー・アル=カッシャーウィー
2021年5月11日

執筆者プロフィール

ムハンマド・シャウキー・アル=カッシャーウィー(Muhammad・Shawqi・al=Qashawi)
PAGETOP