ロマネスク建築の中のイスラーム

2021年 05月25日

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ロマネスクとは、10世紀後半から12世紀にかけて西ヨーロッパの各地で広く用いられた建築様式である1。この様式の誕生は、当時の都市社会の発展と結びついて、修道院や大聖堂といった多くの教会堂が新しく建設されたり建て替えられたことに端を発している。ロマネスクのあとに発達したゴシック様式が、ほっそりとした柱を中心とする構造体や尖頭アーチを特徴とするのに対し、ロマネスクの建築は壁を主体とした構造に半円アーチなど、どっしりとした安定感を感じさせる。北はスカンディナヴィア半島から南はシチリア島まで、国を超えて広まった初めての美術様式と言われているが、その一方で起源を特定するのが困難であり、地域的な差異が大きく見られることもロマネスクの特徴である2。確かに、フランスのロマネスク建築としてよく知られるブルゴーニュ地方のヴェズレー修道院に対し、同じく12世紀に建設されたシチリア王国のモンレアーレ大聖堂を比較するとその違いは一目瞭然だ。

1 ロマネスク(Romanesque)という語の定義については、次を参照した。
Chilvers, I. 2004. Romanesque. The Oxford Dictionary of Art. Oxford University Press. https://www.oxfordreference.com/view/10.1093/acref/9780198604761.001.0001/acref-9780198604761-e-3000.
Clarke, M. 2010. Romanesque. The Concise Oxford Dictionary of Art Terms. Oxford University Press. https://www.oxfordreference.com/view/10.1093/acref/9780199569922.001.0001/acref-9780199569922-e-1460.(最終アクセス:2021年2月9日)
2 金沢, 2015: 40–43.

ヴェズレー修道院(フランス)
モンレアーレ大聖堂(イタリア、シチリア島)

既に十字軍の記事においても触れたように、中世におけるシチリア島やイベリア半島といった地域ではイスラーム文化の影響を強く受けた建築が建設されていた。そしてこの影響は周辺の地域にも広がっている。しばしば長靴に例えられるイタリア半島のかかと部分にあたるモルフェッタは、エルサレムへと向かう巡礼者や十字軍の兵士たちを送り出す海港都市のひとつとして栄えた。高さの異なる3つのドームが印象的なサン・コラード旧大聖堂は、12世紀後半から13世紀前半にかけて建設された3。西正面や身廊部分の外観はほとんど装飾がなく非常にシンプルだが、翼廊とアプスにあたる壁面には重なり合った連続アーチによるブラインド・アーケードの浮き彫り装飾が施されている。これはシチリア島の建築に影響を受けたものと考えられており、モンレアーレ大聖堂の外観にも似たような装飾がより複雑な形式で現れている4

3 池田, 2009: 176–181.
4 ナポリの北に位置するカゼルタ・ヴェッキアのサン・ミケーレ・アルカンジェロ大聖堂では、1234年に増築された西正面の南に建つ鐘塔の2層目に、重なり合ったブラインド・アーケードが施されている。また、交差部の塔にも同様の装飾が見られ、ここではアーチ自体にも幾何学模様が施されてより装飾的になっている(池田, 2009: 200–205)。

サン・コラード旧大聖堂
モンレアーレ大聖堂

この記事では、こうしたイスラーム建築の影響を受けたロマネスク建築、特にイベリア半島からフランスの事例に焦点を当て、ロマネスクの多様な形態の中の一側面を明らかにすることを目的としたい。

イベリア半島は、8世紀初頭に西ゴート王国が滅亡に追いやられたことを契機として、後ウマイヤ朝、ムラービト朝、ムワッヒド朝といったイスラーム王朝の統治下に置かれた。アラビア語で「アンダルス」と呼ばれたイベリア半島では、多くのイスラーム建築が建設された。代表的なものとして、後ウマイヤ朝の首都コルドバで786年に建設された大モスクが挙げられる。古代ローマ時代の円柱を再利用したとされる内部空間は、白大理石と赤煉瓦を交互に並べることで縞模様を描く二重の半円アーチが印象的だ。増築に適した多柱式モスクの性質を活かして、コルドバの大モスクは10世紀にかけて段階的に拡張されていく5。10世紀の増築部分にあたるミフラーブの周辺には、馬蹄形アーチや多弁形アーチといったイスラームらしい造形が見られる。

5 深見, 2013: 32–34.

コルドバの大モスク(8世紀の多柱式モスク)
コルドバの大モスク(10世紀に増築されたミフラーブとマクスーラ)
コルドバの大モスク(マクスーラの上に架けられたアーチ・ネット)

一方、イスラーム勢力によって追いやられたキリスト教徒たちは、イベリア半島北部に残存していた。彼らは11世紀以降再び勢力を拡大し、領土を取り戻そうとイスラーム教徒に対抗していく。この「レコンキスタ(再征服活動)」によって、12世紀後半までにイベリア半島の北半分がキリスト教徒の領土となり、1492年、ナスル朝の首都グラナダが陥落したことでレコンキスタは終結した6

6 8世紀から15世紀にかけてのイベリア半島におけるキリスト教徒とイスラーム勢力の関係については、高山, 2007: 43–49を参照。

さて、キリスト教徒の支配下に置かれた地域では、西ゴート王国時代のイスパニア式典礼にかわってローマ式典礼が導入され、次々と新しい教会堂が建設されていく7。元々建てられていたモスクの多くは、一時的に祭壇を東側に配置し、ミナレットに鐘を吊るすことでキリスト教の典礼が行われたのち、教会堂に建て替えられた8。前述のコルドバの大モスクもまた、13世紀には教会堂として転用されている。この過程で、イベリア半島にはイスラームの装飾や技法が残存していたことから、独特の形態が生み出されていく9

7 イベリア半島の中でも特に再キリスト教化が早かったカスティーリャ地方は、イタリアのロンバルディア地方やフランスのブルゴーニュ地方と並んで、ヨーロッパの中でもロマネスク様式が最も早くに誕生した地域として数えられている。カスティーリャ地方におけるロマネスク建築の発生を促した要因として、ローマ式典礼が早い段階で導入されたことによってベネディクト会を通して南フランスやイタリア(とりわけ、建築技術に長けたロンバルディア地方)との間に密接な関係や交流があったことが挙げられている(金沢, 2015: 59)。
8 Kroesen, 2008: 115.
トレドのサンタ・クルス教会など、中にはモスク時代の構造体をそのまま利用して、部分的に増築することで教会堂へ転用された事例も見られる。
9 例えば、サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院には、外側ではロマネスクの半円アーチが、内側では馬蹄形アーチが用いられるという、独特の形態をもつ扉口がみられる。

例えば、聖ヨハネ騎士団によって管理されていたソリアのサン・フワン・デ・ドゥエーロ旧修道院は、12世紀末から13世紀にかけて建設されたロマネスクの教会堂である。側廊を持たない単廊式の身廊には、木造天井が架かる。身廊の奥に一段高くなった幅の狭い内陣が続き、半円形のアプスが付属している10。身廊と内陣の区切りには先の尖った馬蹄形アーチが用いられ、その両脇には半円形とピラミッド形の天蓋をのせた構造物が置かれているが、その用途や起源については詳しく分かっていない11

10 ナフリア・ラ・リャナやカスティリェホ・デ・ロブレドの教会堂など、カスティーリャ地方では、ここと似たような単郎式の身廊に細くなった内陣、という形式のロマネスク聖堂がしばしば建設されている。
11 Martinez de Aguirre, 2009: 114–123.

サン・フワン・デ・ドゥエーロ旧修道院(教会堂)

しかし、この修道院で最も目を引くのは、教会堂ではなくその回廊だ。やや遺構化してしまっているものの、その形態をしっかりととどめている。まず大きな特徴として、一般的な回廊が四角形を形作っているのに対し、この修道院の回廊では、4つの内3つの角が落とされ、馬蹄形アーチの入口が設けられている。そして、アーケードのデザインも各辺の中央部分を境に、4種類の全く異なるデザインを採用している。ひとつは、2本が1セットになった円柱の上にロマネスクらしい半円アーチが架かったもの。ひとつは、こちらも2本セットの円柱上に、今度はイスラーム建築の影響を感じさせる馬蹄形アーチが架けられたもの。そして、冒頭のモンレアーレ大聖堂やサン・コラード旧大聖堂などでも見られた、尖頭アーチが重なり合って並んだもの。最後に、先ほどと同じく尖頭アーチが重なり合っているのだが、角柱との結合部分でくるりと一回転している独創的なものだ12

12 柳, 2009: 379–380.

サン・フワン・デ・ドゥエーロ旧修道院(回廊)

今度は、アーチを受ける柱頭の部分に注目してみよう。古代ローマ建築における柱頭は、ギリシア建築から受け継いだドーリス式、コリント式、イオニア式と呼ばれる3種類のタイプを基本的な要素として、もっぱら渦巻きや植物の葉の形をかたどった彫刻が施されていた。しかし、ロマネスクの建築では、そこに動物や人間、聖書の物語といった題材が登場するようになる。古代から続く柱頭の形態を活かしながら、そしてときには自由に逸脱しながら、柱頭彫刻がその幅を広げていった時代だった13

13 柱頭彫刻における古代ローマ建築からロマネスク建築への変化については、金沢, 2015: 63–79を参照。
また、ロマネスク建築において柱頭彫刻に人間や動物のモチーフが盛んに用いられたと述べたが、もちろん、抽象的な形態が消えたわけではない。フランス中部のサン・ロマン・ル・ピュイの聖堂では、わずかに動物が見られるものの、柱頭彫刻のほとんどを組紐文による抽象的なモチーフが占めている。あらゆる柱頭を支配し、他には孔雀や怪獣が僅かに姿を見せるきりで、誠に幻想的な抽象芸術の世界を現出している。ロマネスクにおける組紐や渦巻きといった、抽象的な形態やその意味については、柳, 2006: 259–276を参照。

ブルゴーニュ地方ソーリューの聖堂(フランス)
ムーラのサン・マルティ聖堂(スペイン)

ソーリューの柱頭は、古代のコリント式と思いきや、くるりと回った葉の先が動物や人間の頭になっている。

フランス南部のプラド近郊に位置するサン=ミッシェル・ド・キュクサ修道院では、イスラーム建築の要素を受け継いだ柱頭彫刻をみることができる。このベネディクト会系修道院は、9世紀後半にスペインのカタルーニャ地方からピレネー山脈を越えてやってきた修道士たちによって創設された14。現在の建物は10世紀後半、11世紀前半、そして12世紀前半と建設時期の異なる3つの部分によって構成されている15。最も古い身廊や翼廊など、教会堂内の至るところに馬蹄形のアーチやアーケードが用いられている。これは建設に関わった人物がアラブ人であったか、あるいはイスラーム王朝の元で働いていた人物であったためではないかと推測されている16。そして、1130〜1140年代にかけて建設された回廊では、柱頭彫刻にライオンをはじめとするオリエントの動物たちが見られるのだ17

14 Olpp, 1957: 21.
15 池田, 2008: 128–135.
16 Puig i Cadafalch, 1940: 156–157.
 10世紀後半の大規模な建設工事を指揮した修道院長ガリンが、別の修道院で行われた儀式に出席した際、《非常に石工事に長けた職人》を伴っていたことが当時の記録に残されている。
17 同様の動物彫刻は、セラボンヌ小修道院にも見ることができる。また、サン=ミッシェル・ド・キュクサ修道院の回廊の柱頭彫刻は、その一部が20世紀初頭にアメリカ人彫刻家によって買い取られ、現在ではマンハッタンの中世美術館、クロイスターズ美術館に展示されている。

サン=ミッシェル・ド・キュクサ修道院
(教会堂(10–11世紀)))
サン=ミッシェル・ド・キュクサ修道院
(回廊(12世紀前半))

いくつかの柱頭に登場する、両脇にライオンを抱える人間のモチーフは、イベリア半島で発見された織物の中に似た図像が見られる18。この織物は、カタルーニャ地方のビック司教、カルボの聖ベルナールの墓から見つかったものだ。彼はアラゴン王ハイメ1世によるバレンシア征服に同行していたとされ、この遠征の際にイスラーム王朝の統治下にあった地域から持ち帰られた戦利品のひとつではないかと考えられている19。即ち、アンダルシアの工房で製作されたものだが、そのデザインはイスラーム建築に起源をもつことは明らかであろう。そして勿論、キュクサの修道院で見られたようなライオンやグリフォンといった独特の動物たちや、動物を捕まえる人間のモチーフは、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂など、イベリア半島の教会堂にも多く見られるのだ20

18 Olpp, 1957: 580–583.
19 カルボの聖ベルナールの織物についてはSheperd, 1943を参照。
20 Walker & Batten, 2016: 311–316.

サン=ミッシェル・ド・キュクサ修道院
カルボの聖ベルナールの織物

さて、ここまでで度々、連続アーチを重ね合わせたモチーフが登場しているが、こうしたアーチの重ね合わせは、二次元の装飾に限られた話ではない。アーチを立体的に重ね合わせてできる、籠状の構造物を天井架構として利用したものはアーチ・ネットと呼ばれている21。アーチ・ネットはイランや中央アジアなど、イスラーム建築で広く用いられた架構方法だが、最も古い事例が見つかっているのはイベリア半島を含むマグリブ地方だ。コルドバの大モスクでは、10世紀後半の増築によってミフラーブとその手前のマクスーラと呼ばれる貴賓席が建設されているが、このマクスーラの天井がアーチ・ネットによって架けられており、3種類の全く異なるアーチの架け方を見ることができる。そしてイベリア半島の周辺では、この架構方法がイスラーム建築の範疇を超えて、ロマネスク建築に応用されている。スペインではトレス・デル・リオの聖墳墓教会、フランスではロピタル=サン=ブレーズの教会堂の交差部にアーチ・ネットの天井が用いられ、コルドバのアーチ・ネットとは異なり、どちらも八角形の各辺の中央からアーチが伸びている。

21 アーチ・ネットの誕生とその伝播については、深見, 2003: 137–144を参照。

トレス・デル・リオの聖墳墓教会 
ロピタル=サン=ブレーズの教会堂

上記の2つの教会堂は、どちらもサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の道中に位置しているが、この巡礼路の出発地の一つとして知られるル・ピュイ大聖堂にも、イスラーム建築の影響が見られる 22。そのファサードはコルドバで見られたものと同様、アーチは色の異なる石材によって白と黒の縞模様を描いているほか、半円アーチだけでなく三葉形アーチや多弁系アーチが用いられている23。聖ジルの礼拝堂へと続く木造の扉口には、キリストの幼年期を主題とした浮き彫り装飾が施されているが、その周囲を飾るのはなぜかアッラーを称えたクーフィー体によるアラビア語の碑文である。同じようにクーフィー体の碑文が教会堂を飾る例としては、モワサックのサン・ピエール修道院の回廊やラヴート=シラクのサント・クロワ聖堂の扉口など、フランス内でも複数挙げられる。こうした事例では、碑文の内容や意味が重要というよりも、もはや装飾模様の一貫として用いられているような印象を受ける。

22 Mâle, 1923: 325–333.
23 ル・ピュイの都市では、岩山の上にそそり立つサン・ミシェル・デギュイユ礼拝堂もまた、大聖堂と同じく2色の色石による縞模様のアーチや多弁系アーチといった要素を備えている。

ル・ピュイ大聖堂(ファサード/扉口)

ここでもう一度、最初のヴェズレー修道院の写真に目を戻してみよう。実はここでも、色の異なる石材を並べた2色アーチが用いられていたのだ。この記事ではロマネスク建築にみられるイスラーム建築の要素を簡単に紹介したが、これらはごく一部に過ぎない。しかし、アーチの形や素材、柱頭彫刻のモチーフなど、建築の要素に関するちょっとした知識があるだけでも、教会堂を歩き回る時間がそのデザインを読み解いていく謎解きのようになるかもしれない。

参考文献

Mâle, É. 1923. Les Influences Arabes dans l’Art Roman. Revue Des Deux Mondes (1829-1971), 18(2), septième période, 311–343.

Kroesen, J. 2008. From Mosques to Cathedrals: Converting Sacred Space During the Spanish Reconquest. Mediaevistik, 21. 113–137.

Martinez de Aguirre, Javier. 2009. San Juan de Duero y el Sepulcrum Domini de Jerusalén. Siete Maravillas Del Románico Español. Aguilar De Campoo. 109–148.

Olpp, William Henry. 1957. The Church Architecture of Roussillon during the Romanesque Period. Ph.D. diss. New York University.

Puig i Cadafalch, Josep. 1940. L’architecture mozarabe dans les Pyrénées méditerranéennes: Saint-Michel-de-Cuxa. Mémoires présentés par divers sacants à l’Académie des Inscriptions et Belles-Lettres, XIV. 143–187.

Shepherd, Dorthy G. 1943. The Hispano-Islamic Textiles in Cooper Union Collection. Chronicle of the Museum for the Arts of Decoration of the Cooper Union, vol. 1. No. 10. 356-401. The Cooper Union.

Walker, R., & Batten, J. 2016. The Making of Romanesque: Reform and Synergy. Art in Spain and Portugal from the Romans to the Early Middle Ages. Routes and Myths. 305–346.

池田健二. 2008. 『フランス・ロマネスクへの旅』. 中公新書.

池田健二. 2009. 『イタリア・ロマネスクへの旅』. 中公新書.

金沢百枝. 2015. 『ロマネスク美術革命』. 新潮選書.

高山博. 2007. 『ヨーロッパとイスラーム世界』. 山川出版社.

深見奈緒子. 2003. 『イスラーム建築の見かた 聖なる意匠の歴史』. 東京堂出版.

深見奈緒子. 2013. 『イスラーム建築の世界史』. 岩波書店.

柳宗玄. 2006. 『ロマネスク彫刻の形態 柳宗玄著作選5』. 八坂書房.

柳宗玄. 2009. 『ロマネスク美術 柳宗玄著作選4』. 八坂書房.

図版出典:

1_ヴェズレー修道院:
PMRMaeyaert, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Basilique_Sainte-Marie-Madeleine_de_Vézelay_PM_46459.jpg

2_モンレアーレ大聖堂、身廊:
pjt56 —, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:MonrealeCathedral-pjt1.jpg

3-1_サン・コラード旧大聖堂、ファサード:
Michele Zaccaria at Italian Wikipedia., CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Duomo_di_Molfetta.JPG

3-2_サン・コラード旧大聖堂、東面:
Istvánka, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Molfetta_San_Corrado_Apsidal_Wall.jpg

4_モンレアーレ大聖堂、アプス外観:
Lasterketak, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Absidea_kanpotik.jpg

5-1_コルドバの大モスク(9世紀の多柱式モスク部分):
kallerna, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mezquita-catedral_de_Córdoba_interior_4.jpg

5-2_コルドバの大モスク(ミフラーブ、マクスーラ):
Allie_Caulfield, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:2002-10-26_11-15_Andalusien,_Lissabon_161_Córdoba,_Mezquita.jpg

5-3_コルドバの大モスク(アーチネット):
Ruggero Poggianella, CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cordoba,_la_Mezquita_-_Cúpula_de_la_Maqsura.jpg

6-1_サン・フワン・デ・ドゥエーロ旧修道院、教会堂:
Diego Delso, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Monasterio_de_San_Juan_de_Duero,_Soria,_España,_2017-05-26,_DD_01.jpg

6-2_サン・フワン・デ・ドゥエーロ旧修道院、回廊:
Misburg3014, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:España_-_Soria_-_San_Juan_de_Duero_-_Cloister.jpg

7_ソーリューの聖堂、柱頭:
PMRMaeyaert, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Saulieu,_Basilique_Saint-Andoche-PM_48284.jpg

8_ムーラのサン・マルティ聖堂、柱頭:
Enfo, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:207_Sant_Mart%C3%AD_de_Mura,_capitell_del_portal_que_representa_la_mort_del_sant.JPG

9-1_サン=ミッシェル・ド・キュクサ修道院、身廊:
GO69, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Codalet_(66)_Abbaye_Saint-Michel_de_Cuxa_Église_10.JPG

9-2_サン=ミッシェル・ド・キュクサ修道院、回廊:
Eduardo Miranda – Mexico, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cloister_Abbaye_Saint-Michel_de_Cuxa_3.jpg

9-3_サン=ミッシェル・ド・キュクサ修道院、柱頭彫刻:
Josep Bracons from Barcelona, Catalonia, CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Codalet._St._Miquel_de_Cuixà_Abbey._Capital_in_the_Cloister._C._1130-1140._(21656032784).jpg

10_聖ベルナールの織物
Cleveland Museum of Art, CC0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Clevelandart_1950.146.jpg

11_トレス・デル・リオの聖墳墓教会:
PMRMaeyaert, CC BY-SA 3.0 ES https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/es/deed.en
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Torres_del_Rio,_Iglesia_del_Santo_Sepulcro-PM_32458.jpg

12_ロピタル=サン=ブレーズの教会堂
Tangopaso, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ceiling_of_Hopital_Saint-Blaise.jpg

13-1_ル・ピュイ大聖堂、ファサード:
Wivoelke, CC BY 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/3.0>
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:2009-04-30-1100-Le-Puy-en-Velay.JPG

13-2_ル・ピュイ大聖堂、扉口:
MOSSOT, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Le_Puy-en-Velay_-_Cathédrale_Notre-Dame_-6.jpg

執筆者プロフィール

(Aki Akioka)

東京大学工学系研究科建築学専攻・博士課程

1993年生。2018年に東京大学工学系研究科にて修士(工学)を取得後、進学。専門は中世イングランド建築史で、現在は修道院や大聖堂に見られるチャプターハウスという部屋に着目した研究を進めている。

ひとこと

中学生の頃にフランスのシャルトル大聖堂を訪れたことがきっかけで、中世の建築とその歴史に興味を持ちました。建物自体も勿論ですが、その建物がどのように使われていたのかなど、建築を通して当時の人々の生活や考え方を知ることに特に関心があります。最近の楽しみは、休日にトランポリンで身体を動かすことです。

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