様式・形式の一覧

  • キャノピー墓

    欧米語表記:canopy tomb

    四角形の平面(壁の場合が多いが柱の場合もある)にドームを架けた墓建築のこと。イスラームの教義においては、墓建築は否定されたが、9世紀頃から、ドームを持つ建物で覆われる墓が見られるようになった。この形式はイスラームの広がりとともに、北アフリカから中国、東南アジアまでの広い地域に見られる。東方のイスラーム(イラン、中央アジア、インド)などにおいては、墓建築が多様に発展したので、それらと区別するために、簡易なドームのみを持つ簡易な墓建築を指す言葉として用いられる。インド、マムルーク朝の墓建築は、概ね、キャノピー墓である。また、キャノピー墓はブハーラのサーマーン廟のように、単独で建てられたものを指すことが多いが、マムルーク朝建築においては、複合施設を建てる際に、その構成要素の一つとなった傾向が見られる。

  • コリント式

    欧米語表記:Corinthian order

    古代ギリシア・ローマ建築の柱の様式名の一つ。様式名は柱(柱礎、柱身、柱頭)とその上にのる水平部分(エンタプラチュア)を含めた比例をさし、ギリシアの様式は、柱が太く重厚なドーリス式、柱が細く軽快なコリント式、中間的なイオニア式に区別される。それぞれの様式では、柱頭が特徴的で、コリント式柱頭はアカン指すの葉に包まれ。上部の四隅に渦巻き型を突出させる。エジプトのイスラーム建築におけるファラオ時代以後、コプト以前の中東の転用材では、コリント式柱頭が圧倒的に多い。なお、転用の際には、柱頭、柱身、柱礎を別々に用いることが多く、古代建築における柱の比例は無視された。

  • ノルマン建築(シチリアの)

    欧米語表記:Norman Architecture (Sicily)

    東ローマ帝国の支配下にあったシチリアは、827年にチュニジアを拠点としたアグラブ朝の支配下に置かれ、その後11世紀後半までの約250年間はイスラームの支配が続いた。ノルマン人の活動により、12世紀前半にはノルマン王国が成立する。このような過程で、イタリア半島とチュニジアを結ぶシチリアには、ノルマン王国の元の12世紀に、アラブ・イスラームの要素とビザンティン・中世イタリア・キリスト教の要素が入り混じった特異な建築様式を作り出した。アラブ・ノルマン様式とも呼ばれ、建築実例としては、パレルモのパラティーナ礼拝堂、ズィーザ宮殿、パレルモのカテドラル、モンレアレのカテドラル、チェファルの大聖堂などがあり、2015年に世界遺産に登録された。

  • バシリカ式

    欧米語表記:Basillica

    東ローマ帝国の支配下にあったシチリアは、827年にチュニジアを拠点としたアグラブ朝の支配下に置かれ、その後11世紀後半までの約250年間はイスラームの支配が続いた。ノルマン人の活動により、12世紀前半にはノルマン王国が成立する。このような過程で、イタリア半島とチュニジアを結ぶシチリアにおいて、アラブ・イスラームの要素とビザンティン・中世イタリア・キリスト教の要素が入り混じった特異な建築様式が創出された。この様式は、アラブ・ノルマン様式とも呼ばれ、建築実例としては、パレルモのパラティーナ礼拝堂、ズィーザ宮殿、パレルモのカテドラル、モンレアレのカテドラル、チェファルの大聖堂などがあり、2015年に世界遺産に登録された。

  • ビザンティン建築

    欧米語表記:Byzantine Architecture 別称:ビザンツ建築

    ビザンティン建築は、330年に成立し1453年まで続いた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配下の領土の建築を指す。ただし、その領土の広がりと国力からも、イスラームの勃興前後に分けて考える必要性がある。イスラームが起こる以前の地中海周辺のキリスト教建築を初期キリスト教建築と呼び、その概念は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルに作られた初期ビザンティン建築の代表とも言えるハギア・ソフィアなども含む。初期ビザンティン建築をも含む初期キリスト教建築では、モザイクなど古代ローマの伝統が継承されると同時に、東方からの影響の下でドームが発展した。イスラームの勃興以後、東ローマ帝国は、アナトリア半島から東ヨーロッパに縮小し、ガラス・モザイクなどの技法を継承し、小型ながらドームを中心とした特有の教会堂形式を創出した。

  • ロマネスク建築

    欧米語表記:romanesque architecture

    西洋建築史の時代区分の一つで、10世紀後半から12世紀末までの西ヨーロッパの素朴で鈍重な教会堂建築の様式を指し、12世紀後半からはより軽妙で構造的なゴシック建築へと推移するとされる。11世紀末から15世紀末まで断続的な十字軍遠征を通して、ヨーロッパのキリスト教建築と中東のイスラーム建築は相互に影響を及ぼした。

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