欧米語表記:iwan アラビア語転写表記:īwān
開放的な建築空間を指すペルシア語に由来する。狭義には、大きなアーチを開口した広間(半戸外となることが多い)を指し、本来は曲面天井(ヴォールト)をいただく。軸上に対に、あるいは直交する2軸上に4つ対称に配置される例が多く、それぞれ2イーワーン式、4イーワーン式と呼ばれる。イーワーンは、各法学の教室として利用され、4イーワーン・マドラサはスンナ派4法学派のための教室となった。マムルーク朝初頭の13世紀後半から、カイロに大アーチが開口する広間にトンネル・ヴォールトをかけ、対に用いる技法が導入された。スルターン・ハサンの複合施設にある4つのイーワーンはその好例である。なお、当初はトンネル型の天井で覆われていたが、エジプトにおいては次第に平天井の例が多くなっていったが、いずれの場合もイーワーンと呼ぶ。住宅形式のカーアと類似するが、異なる分類として峻別される。
欧米語表記:qa'a アラビア語転写表記:qā'a
本来は広間を指すアラビア語で、中世アラブの客間様式を表す住宅史用語として使われる。その形は、中央に一段低い部分(ドゥルカ)を作り、その両側を一段高い広間(タザル)とし、3つの空間は連続的ながら、途中にアーチが挟まれ、両脇部分はイーワーン(大アーチを開口する広間)のような空間となる。中央の空間を高くして、そこに空気や光を取り入れる高窓(シャクシェイハ)を設け、その下に噴水を設置するなどして、快適な室内気候を作り出した。このような形式は、ファーティマ朝に成立したという見方とアイユーブ朝期に成立したという見方がある。マムルーク朝の14世紀には、宮殿や邸宅に定型化した実例が残り、邸宅のカーアがモスクに転用された例も数例ある。特に14世紀後半以後、住宅のカーアとモスクのイーワーン形式は似通った発展を遂げた。
欧米語表記:canopy 別称:天蓋
天蓋のことを指す英語。現代建築においては、建物から突出する大規模なひさしも含まれるが、歴史的には玉座や墓石など高貴な場所を覆うものを指した。天蓋は、支柱と布からできた簡易なものから、石製や天井から吊るされた金属製など様々である。
欧米語表記:sabil (fountain) アラビア語転写表記:sabīl
公共の井戸のこと。イスタンブルではセビル。乾燥地域が多い中東・北アフリカ地域では、旅行者・巡礼者のための井戸の整備が実用面の他にも、旅人を保護するという宗教的な慈善行為からも重要視されていた。カイロのサビールの多くは、ナイル川や運河から水を運び、地下の貯水槽に貯めて利用していた。マムルーク朝期からオスマン朝期・ムハンマド・アリー朝期にかけて、有力者による寄進(ワクフ)によって多くのサビールが建設された。
欧米語表記:sabil-kuttab アラビア語転写表記:sabīl kuttāb
一階部分に公共の井戸であるサビール、二階部分が読み・書き・クルアーンなどを教える初等教育機関であるクッターブを備えた複合慈善施設。給水施設のサビール(セビル)はイスタンブルやエルサレムなど他の地域にも見られるが、複合施設のサビール・クッターブはカイロで発展した特徴的な建築物である。マムルーク朝期から既存のモスクやマドラサの付属施設として建設され、後に単独の施設として建設されるようになった。特に17,18世紀のオスマン朝下のカイロ市内に多数建設された。
欧米語表記:Shadirwan アラビア語転写表記:Shādhirwān
上質なカーテンや掛け布を指すペルシア語で、中世には傾いた壁から水が流れ落ちる滝状の装置を指すようになる。実例としては、パレルモのジーザ宮殿、あるいはマムルーク朝のサビール(給水施設)や邸宅の室内に設置されたものが残る。サファヴィー朝やムガル朝インドの実例もあり、広く普及した装置である。揚水装置によって水を高い位置にあげ、そこから傾斜する板上を水が流れ下るようにし他もので、板には凹凸の模様が彫り込まれ、水が模様を描く工夫がなされる。下り降りた水は水盤に溜められ、そこには噴水(ファスキア)が設置されることが多い。
欧米語表記:cenotaph
遺体が埋葬されていない棺、ひいては棺型の墓石を指す。イスラーム建築においては遺体は土中あるいは地下室に安置され、墓建築の中には棺型の石棺を墓石として設置することが通例である。石製、木製、レンガ造スタッコ塗りなどがあり、大きさにも決まりはなく、小さいものから大きく長いものまで様々である。背のタフの周囲に彫刻を施したり、装飾的な墓碑を加えることもある。
欧米語表記:semi dome 別称:半ドーム
半球ドームにおいてその頂点を通る垂直面で切りとられた球面を指し、狭義には球面の4分の1の形となる。建物の入口、あるいは広間の凹部などの天井を覆う球面状のヴォールト(曲面天井)となるため、高さ方向や奥行き方向の歪みをもつものも総称してセミドームと呼ぶことが多い。古くはキリスト教会堂のアプス(内陣奥部の半円形の凹み)に使われ、ウマイヤ朝の宮殿建築はその影響を受けた。マムルーク朝では、多くの場合は移行部(基部の矩形からドームの円形に達する部分)のムカルナス等が主流となるため、セミドーム面は小規模化するが、スルターン・バイバルス2世のハーンカーの入口には、比較的大きな実例がある。
欧米語表記:Khanqa アラビア語転写表記:Khānqāh
スーフィーのための施設・建築物の名称。ペルシア語起源の言葉で、元々は中央アジアで使われていたで用いられていたが、セルジューク朝の西方進出に伴ってエジプト・シリアでも使われるようになった。カイロでは、特に有力者・スルターンが建設した大規模なスーフィー向けの修道場をハーンカーと呼び、より小規模な修道場はザーウィヤなどと呼ばれた。
欧米語表記:mausoleum アラビア語転写表記:ḍarīḥ/turba 別称:墓建築
墓の上に建設された建物(墓建築)を指す。イスラームのハディースには墓石や墓碑を建てることを禁じているが、メディナにある預言者ムハンマドの墓をはじめとし、高位高官の墓や聖者などの墓は建築物を伴うようになった。マムルーク朝建築においては、スルターンやアミールたちは自身の廟を建てる際に、モスク、マドラサ、ハーンカー等の宗教施設を併設し、公共の福祉に寄与しながら、自身の墓が永続することを願った。
欧米語表記:complex
機能を異にする建物を一つの施設として同時期に建設されたものを指す。例えば、カラーウーンの寄進施設は、マドラサ、廟、病院からなる複合施設である。なお、複合施設の中には、スルターン・ハサン・モスクに併設された孤児院や救貧施設などのように、一部の施設が消失し、現存していないものもある。マムルーク朝やティムール朝にもよく見られるものであるが、特にオスマン朝治下のイスタンブルにおいて数多く建設され、トルコ語でキュッリイェと呼ばれるようになる。
欧米語表記:madrasa
主にイスラーム諸学を教える寄宿制の高等教育施設。9世紀のホラーサーン(イラン北東部)地方を発祥として、11世紀後半にはセルジューク朝によって治下の主要都市に建設されるようになった。エジプトでも、特にアイユーブ朝期以降盛んに建設されるようになり、マムルーク朝期はエジプトにおけるマドラサ建設の最盛期であった。
欧米語表記:minaret アラビア語転写表記:mu'adhina/manār 別称:光塔
アラビア語の光(ヌール)あるいは火(ナール)から派生したマナーラが英語に入った言葉で、日に5回の礼拝への呼びかけ(アザーン)を呼びかけ人(ムアッズィン)が行う塔を指す。エジプトでは、アザーンの場所という意味からマアザナと呼ばれることも多い。ドームと並んで建物の外観を強調する重要な要素となり、工夫を凝らして飾られた塔には、地域や時代の特色が現れる。マムルーク朝においては、途中のバルコニーごとに断面形を変化させ、頂部に宝珠をいただく石造のミナレットが発達した。
欧米語表記:mihrab アラビア語転写表記:miḥrāb 別称:壁龕
イスラーム教徒は礼拝の際にはメッカの方角に向かうため、モスクや墓等の宗教施設にはメッカの方角を示す装置が設置され、それをミフラーブと呼ぶ。アーチの形をしたものがほとんどで、平らな壁に作られたアーチの場合もあるが、壁に凹部を作って立面をアーチとすることが好まれた。ミフラーブの数は決まっておらず、一つのモスクに一つとは限らないが、マムルーク建築においては、単一のミフラーブが礼拝室の中央壁装飾の焦点となることが一般的で、色の付いた石や象嵌細工を組み合わせる装飾技法が用いられた。
欧米語表記:minbar アラビア語転写表記:minbar 別称:説教壇
金曜日の昼の礼拝の際に導師(イマーム)が説教(フトゥバ)を行う大モスクに備えられた階段状の壇を指す。マムルーク朝では木製のミンバルが一般的ではあるが、アークスンクル・モスクやスルターン・ファラジュのモスクには石造のミンバルがある。なお、同様な高台の装置として、礼拝室の中央部に設置された高い壇(ディッカ)があり、集団礼拝の先導のために使われた。
欧米語表記:mosque アラビア語転写表記:masjid
イスラーム教徒の礼拝する場所を指す。金曜日の昼の集団礼拝を行う大モスクから街角の小さなモスクや飛行場の礼拝室など様々である。マムルーク朝のモスク建築においては、いわゆる多柱式とするものは限られている。